
浅間神社が続きます。そもそも富士山本宮浅間大社には富知神社が鎮座していました。富知神社にも参りましたので後述します。
新東名・新富士ICで降り、富士宮へ。富士宮駅北口周辺は、電線類地中化で街はスッキリ。私的に松本を思い出しました。
まずは、 全国に約1,300社ある浅間神社の総本社の「富士山本宮浅間大社」へ。表富士、何となく山梨側よりも明るいイメージですね。でも、終日曇り~雨で残念ながら富士山は拝めませんでした。
浅間大社の駐車場に入れて、いったん外側を南下。浅間大社南へ。

大鳥居
駅前にあった大鳥居がこちらに移ったそうです。なんで駅前から撤去?と、ちょっと深調べしたら、なかなか複雑な事情があったようです。興味のある方はご自身でお調べください。

静岡県富士山世界遺産センター・・・2017年12月23日にすでに開館されました。
世界遺産の根拠となる「世界遺産条約(国際条約)」に規定されている、世界遺産を「保護し、保存し、整備し及び将来の世代へ伝えることを確保する」拠点施設であり、学術調査機能などを併せ持つ施設。

以前、ブラタモリでやってましたー。富士山本宮浅間大社、周辺の浅間神社の位置関係。

お宮横丁南にはこんなお宅が。私的に惹かれたので撮りました。

お宮横丁
こじんまりしてます^^ やっぱり「富士宮やきそば」ですね^^

浅間大社前付近。

それでは境内へ

「表口富士開山」の旗


「鏡池」を渡り・・・

楼門 1604年(慶長9年)に、拝殿・舞殿・本殿とともに徳川 家康によって造営された建築物(県文化財)。
立派ですね。

幣殿・拝殿

拝殿正面



拝殿奥の「本殿」は、な、なんと!!二階建てのようです!!

本殿脇より
すごいですね~。二階建てなんて。浅間造りというそうです。帰宅後、録画のブラタモリを観たら、やはり、とても珍しいようですね。
wikiによると、富士山本宮浅間大社の浅間造は、建立を行った徳川家康の「富士山が正面にみえる位置でお供えをしたい」という意向を踏まえたものとされています。
ブラタモリでは、本殿一階部分の屋根が富士山の形になっていて(四方向に傾斜する寄棟造の屋根)、その上に載っている二階部分は富士山の上方、「天上界」に神社がおられるイメージを表現していると紹介していました。
本殿東側の「湧玉池」へ。

富士山の湧水です。ペットボトルを購入して水を入れて持ち帰ることもできます。
飲料してはいけない(飲むなら煮沸して)と書かれていますが・・・・みなさん、飲んでます^^




湧玉池
東脇門を出ると平安朝の歌人平兼盛が「つかうべきかずにをとらん浅間なる御手洗川のそこにわく玉」と詠じた湧玉池があります。
この池は富士山の雪解け水が何層にもなった溶岩の間を通り湧出するもので、特別天然記念物に指定されています。 清水の湧出する水源の岩上には朱塗優雅な水屋神社があります。富士山登山者はこの霊水に禊ぎをして登山する古くからの習わしがあります。
http://fuji-hongu.or.jp/sengen/hongu/index.html#0304 神社hpより

ブラタモリのこの図がすごく解りやすいです。
富士山が噴火し、下部は土石流で水を通しにくい地層になって、その上に溶岩が降り積もりました。
そして、この池の場所は富士山の裾の末端(末端崖)です。
また、富士山の裾野のを引く「富士美」は、溶岩の粘り気が丁度よい頃合いから生まれた自然の神の作品というわけです。
富士山に降った雨や雪解け水がしみ込んで、20km、15年をかけて、ここにやってきます。
一年間ほとんど増減なく毎日約30万t湧き出ていて、水温は1年を通して13°C前後で一定。冷たくて気持ち良かったですよ。

右の道路、緩やかに上っています。まさにここから富士山方向へず~~っと上っています。富士山の裾野の先端^^

境内東側の鳥居
鳥居の上に鳩^^ この富士山の湧水を水源に、ここから神田川が南下します。

神田川
これが湧き水!!!!!いや~、これが富士山の湧水ですからね~。驚きの水量です。

参道脇の「ふれあい広場」では、ミストが噴出して子どもたちが楽しんでいました。(参拝が8月でしたので)
さすが浅間神社の総本山。みどころ満載でした。その後、富知神社(富士宮市)へ。




富知神社(ふくちじんじゃ)
浅間大社が山宮(現 山宮浅間神社)から現在地に遷座して来るまで、今の富士山本宮浅間大社には富知神社が地主神として鎮座していたとわれています。
社名の「富知」に関しては、富士山の山名との関わりが指摘される。そのうち「フチ」の古名は水の信仰に由来するとされ、『富士本宮浅間社記』では、当社は元々は現在の浅間大社の社地にあったと伝えるが、同地には富士山の湧水が出る「湧玉池」があり、同池を「湧く霊(たま)」として祭祀を行っていたと見られている。
一方、浅間神の古称「アサマ」に関しては、阿蘇山・浅間山・朝日岳等に見られるように「火山」を表す呼称と見られている。そして富士山の噴火を鎮める必要性から、火神信仰が水神信仰を圧倒したと指摘される。
正史での富士山噴火の初見は『続日本紀』天応元年(781年)7月条であるが、それ以前は穏やかな山としての表現のみであることから、噴火は起こっていなかったと見られている。
以上から、大同元年(806年)と伝えられる祭祀の交替は、富士山の「水の神信仰(フチ信仰)から火の神信仰(アサマ信仰)への転換」を表す象徴的な出来事だと解されている。by wikipedia
富知神社には「沈黙の空気」?が漂っていました。歴史的には大切なポジションの神社なのですが、今は、この地域の氏神さまとして静かに見守っているかのようでした。2016.8











