2017.9.8~11 親友と二人でオヤジ軍団九州旅行(佐賀~長崎~大分~福岡)へ行きました。 櫛田神社参拝(いつかアップします)後、太宰府天満宮へ向かいました。
(他の神社も後程紹介する予定です。)
太宰府天満宮のでっかい駐車場に入ると、大型バスがずら~~~り。
で、駐車場の脇には「免税店」。そう、海外からの旅行者が、わんさか居られたのでしたー。
駐車場から参道へ。
いや~スゴイ人です。平日の月曜日なのに。。。。
参道には「梅ヶ枝餅」のお店がたくさん。帰りに一個食べましたよ。
「君がひとつ 僕が半分 梅ヶ枝餅を食べた~♪飛梅byさだまさし」
鳥居をくぐり直角に左へ行くと・・・
中世の鳥居
福岡県指定文化財。高さは6.17メートル、花崗岩製の明神型鳥居。笠木の反りはゆるやかで、柱高より柱間が広く造られているのが特長。
神社明細図には、「筑後国有坂城主新田大炊介建立」 と記されていますが、建築年代は不明。その形式から南北朝から室町時代とみられています。九州最古の鳥居といわれています。
いや~、スゴイ人です。鳥居奥の太鼓橋が参拝者で溢れていますねー。人を入れないで撮るのが得意なのですが、ココではムリです(笑
太鼓橋の上より。
心字池は「心」という漢字に形造られていることから心字池と呼ばれ、架かる3つの赤い橋は、太鼓橋、平橋、太鼓橋からなり、それぞれ過去・現在・未来を表し、この橋を渡り水の上を歩くことで心身ともに清められ神前にすすむことになります。
「心字池にかかる 三つの赤い橋は 一つ目が過去で 二つ目が現在 三つ目の橋で君が 転びそうになった時 初めて君の手に触れた僕の指♪飛梅byさだまさし」
今王社
藩主の代表者などが参詣の途中で穢れに会った場合、境内まで入らないでこの今王社に参詣した。
心字池と二つ目の「今」の橋。
志賀社
重要文化財。御祭神は、海神、綿津見三柱神(わたつみみはしらのかみ)。 古代後記より中世にかけて海外貿易を行っていた。
安楽寺(太宰府天満宮)は、海上安全の海の神として祀る。 長禄2(1458)年の再建で、和・唐・天竺の三様式をもって構成され、当初は黒漆と金製金具をふんだんに使っていた美術工芸品ともいえる建造物である。(現地案内板)
三つ目の「未来」の橋を渡ります。
楼門 いや~立派ですね。
朱塗りの重層の入母屋造り、檜皮葺の二重門。慶長年間に石田三成が再興しましたが明治時代に焼失、1914年に再建。
楼門前の手水舎
御本殿
大宰権帥として大宰府に左遷され、この地で亡くなった菅原道真をまつる。学問の神として有名である。本殿はその墓所の上に建立され、現在の本殿(重要文化財)は1591年の再建。
御本殿と飛梅
飛梅・・・天満宮の御神木。樹齢1000年を超えるとされる白梅。で、菅原道真公が、無実の罪に問われて左遷されたとき、梅に思いを残し、
「東風ふかば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と詠んだところ、 主人を失った梅は、道真を慕うあまり一夜にして太宰府へ飛来したものだといいます。
「あなたがもしも 遠くへ行ってしまったら 私も一夜で飛んでゆくといった 忘れたのかい 飛梅♪ 飛梅byさだまさし」
「手を合わせた後で 君は御籤を引いて 大吉が出る迄と も一度引き直したね~♪ 飛梅byさだまさし」
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)は、
福岡県太宰府市宰府(さいふ)にある神社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は梅紋である。
菅原道真(菅原道真公、菅公)を祭神として祀る天満宮の一つ(天神様のお膝元)。初詣の際には九州はもとより日本全国から毎年200万人以上[1]、年間にすると850万人以上[2]の参詣者がある。
現在、京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされ、また菅公の霊廟として篤く信仰されている。右大臣であった菅原道真は昌泰4年(901年)に左大臣藤原時平らの陰謀によって筑前国の大宰府に員外帥として左遷され、翌々年の延喜3年(903年)に同地で死去した。その死後、道真の遺骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなったため、これはそこに留まりたいのだという道真の遺志によるものと考え、延喜5年8月、同寺の境内に味酒安行(うまさけのやすゆき)が廟を建立、天原山庿院安楽寺と号した。
一方都では疫病や異常気象など不吉な事が続き、さらに6年後の延喜9年(909年)には藤原時平が39歳の壮年で死去した。
これらのできごとを「道真の祟り」と恐れてその御霊を鎮めるために、醍醐天皇の勅を奉じた左大臣藤原仲平が大宰府に下向、道真の墓所の上に社殿を造営し、延喜19年(919年)に竣工したが、これが安楽寺天満宮の創祀である[3]。それでも「道真の祟り」は収まらず・・・・・以下リンク先へ
太宰府天満宮 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2019年12月18日 (水) 02:59
御本殿の神鏡にピントを合わせてみました。
ちょうどお祓いをされていました。
本殿裏の摂社と夫婦樟
ものすごい生命力を感じるクスでした!この本殿裏の空気・空間はとても良かったですね。
摂社と末社の違い・・・神社本庁監修の冊子によると本社(本殿)のご祭神に所縁のある神、ご本社祭神の荒魂、さらにその土地に古くから鎮座されていた地主神を祠る神社を「摂社」。それ以外の「末社」という。
こちらも本殿裏。絵馬がたくさん^^
厄晴れひょうたん
天神さまがこよなく愛された梅の木の下で「ひょうたん酒」を飲めば、不思議と難を免れるという伝承があります。
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楼門内・御本殿はとても人が多いので裏側から境内脇へ。
相輪塔
仏教の塔の新しい形式で伝教大師(最澄)によって伝えられ、心柱が通り下から露盤、覆鉢、請花、九輪、水煙、竜舎、宝珠の各部から成る。享和2年(1802)に建立し弘化4年に再建、1075年大祭記念として東神苑からこの地に移した。
わが国に8基あり、九州にはこの1基が現存し,貴重な建造物である。「案内板」
左奥の山道へ吸い込まれるように向かいます。
山道を何となく登っていきます。その空気感とはアンバランスな隣接する「だざいふ遊園地」の賑やかな音が聞こえてきます。
麓から続く天開稲荷社の鳥居。本来はこちら側から上がってくるのですが、尾根上から稲荷神社へ参りました。
天開稲荷社 女性の参拝者が多いです。
天開稲荷社
「天開稲荷大明神」の旗が・・・。帰宅してから調べたところによると・・・
・太宰府天満宮の中のあまり知られていない有名なパワースポット
・社名に由来するように古来より天に開かれた社とされ、五穀豊穣・商工業の発展、更には人々に開運と幸運をもたらす神として広く信仰されています。
・祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)は穀物の神
・天開稲荷社は、鎌倉時代、総本山である伏見稲荷大社から宇迦之御魂神の御分霊を頂き、祀るようになったのが始まり。
・稲荷社は、本来、朝鮮半島から最新の文化・技術を日本に伝えた秦氏(はたし)という一族の氏神を祀る神社。
・商工業が発展するとお稲荷様を五穀豊穣だけでなく、商売繁盛・商業発展の神とも考えるようになる。
・九州最古の稲荷社と言われている。
本殿奥の「奥の院」
奥の院は、石室で狭く一人ずつ入って参拝します。神様と1対1で向かい合う空間です。願いを聞き入れて頂けそうですね。
麓から続いている参道
思いだした! 14年前に会社の慰安旅行で来たときに、ここで昼食をしたのでしたー。
「裏庭を抜けて お石の茶屋へ寄って 君がひとつ 僕が半分 梅ヶ枝餅を食べた~♪ 飛梅byさだまさし」
太宰府天満宮の本殿横にある「ひろはちしゃの木」。樹齢約700年で中が空洞。国の天然記念物に指定されています。
チシャノキ(ムラサキ科チシャノキ属の落葉高木)
和名は、若葉の味がチシャに似ていることから。また、樹皮や葉がカキノキに似ていることから、カキノキダマシともいう。
というわけで、「さだまさしの飛梅♪」を思い出し、口ずさみながら参拝したのでした。この楽曲は大学二年の時に、「まつぼっくり」というフォークバンドで演奏していたので、良く憶えていたのでしたー♪
大宰府は、弥生時代や古墳時代に玄界灘は、アジア大陸との窓口という交通の要でした。
地図を見ると、壱岐島、対馬島を経て朝鮮半島はホントに近いですね。世界遺産となった宗像大社沖津宮の沖ノ島も近くにあります。
それにしても参拝者が多かった@ビックリ! なんとな~く、境内の気の良い方へ方へと足が向いて天開稲荷社に辿り着きました。感謝感謝^^