2016.1.11成人の日にフラリと「亀戸天神社」へ行きました。
道路反対側から。
09:35 左のお店は「元祖くず餅 船橋屋」さん。文化2年(西暦1805年)に開店した亀戸天神本店。美味しかったですよ^^
太鼓橋(男橋)
鳥居をくぐると、心字池( 「心」の草書体をかたどってつくられた日本庭園 の池)があり、なかなか高低さのある太鼓橋(男橋)を渡ります。九州大宰府天満宮の境内にならって造られています。
「さだまさし」さんの「飛び梅」が聴こえてきそうです♪もちろん大宰府天満宮でも聴こえてきました^^
心字池にかかる 三つの赤い橋は 一つ目が過去で 二つ目が現在
三つ目の橋で君が 転びそうになった時初めて君の手に触れた 僕の指♪
東京スカイツリーと太鼓橋(男橋)
太鼓橋(男橋)の天辺より見る平橋。男橋は過去、平橋は現在、その先の女橋は未来を顕しています。藤の花が咲くころは素晴らしいでしょうね~!
太鼓橋(男橋)の天辺より望遠にて。女橋には成人式の女性が写真撮影。未来に向けて!ですね^^
太鼓橋(女橋)と琴柱灯籠 琴の弦を支える琴柱に似ていることに由来する名前の灯籠です。
亀戸天神社(通称:亀戸天神、亀戸天満宮、東宰府天満宮)
東京都江東区亀戸にある神社(天満宮)。菅原道真を祀り、学問の神様として親しまれている。
正保年間(1644年 – 1647年)、菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち、諸国を巡った。そして1661年(寛文元年)、江戸の本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが始まりとされる。by wikipedia
本殿付近
太助灯籠 おみくじの数がスゴイです!
「猿まわし」もやっていましたよ。
アタマ、なでなで^^
天神様(菅原道真公)は承和12年(845)6月25日に御誕生になりましたがこの都市が乙丑の年に当り、延喜3年(903)2月25日大宰府の配所で亡くなられたとき、道真公自らの御遺言により御遺体を牛車に乗せて牛に引かせ、牛が止まった所を御墓所と定めてそのところに神廟(現在の大宰府天満宮)が建立されたのも乙牛年のことでした。
讃岐守(香川県)として御在任中農工に勤しむ牛の姿に深い慈愛の心を示され、又、大宰府へ西下の途中牛の鳴き声に刺客から逃れられたり、どこからともなく飛び来たった白牛に危難から救われられるなど天神様と牛とのかかわりは史実や演技に或は伝承を通して伝えられています。その底流には御生誕の年はもとより神廟にお祀りされた年も丑年に当るという御神縁があり、以来牛は天神様の神使(みつかわしめ)、天神様を守護するものとして篤く信仰されています。
本堂手前にある「鷽(うそ)の碑」と「五歳菅公像」
鳥の「うそ(鷽)」は、縁起の良い鳥で、天満宮や天神社では「うそ替え」の神事が行われます。「悪いことを、うそ(嘘)にするために」 「嘘を真にするために」
ええ~っと思うわけですが、この神事により、アタマの切り替えができるのではないかとも思うわけです。
過去は変えられけれど、過去に縛られて生きるのも自分自身の思考の指向性の問題で、少しでもネガティブな事象から切り離す、アタマを切り変える、新たな道に踏み出す・・・・そんな儀式にも思えます。
紅梅殿
道真公が太宰府へ渡ったとき、慕って飛んできたと言われるのが飛梅で、紅梅殿はこの「飛梅」の実生を祀っています。
蝋梅
こんな蝋梅見たの初めてだなあ。未だ葉っぱが残っているのに、花は満開!異常気象だからかなあ。。。。