
今回はBinance/バイナンスの創始者であるCZ氏について取り上げてみたいと思います。
特に一時期日本にも居住して働いていたことがあるなど、親近感がある内容になっていると嬉しいです。

【CZの生い立ち】
CZ氏(本名:趙長鵬、Changpeng Zhao)は、中国の農村で生まれました。彼が記憶している幼少期は、水道も電気もない生活でした。小学校時代は、ガラスカバー付きの石油ランプの下で勉強していました。数年後に水汲みポンプが設置され、さらに数年後には電気が通じるようになりました。
その後、彼は中国の小さな都市に引っ越し、12歳になる前にカナダに移住しました。彼の両親は中国では教師でしたが、バンクーバーでは母親が英語を話せなかったため、縫製工場で最低賃金に近い賃金で働いていました。
父親は教授になるために勉強していました。この経験から、CZ氏は両親が自分に機会を与えるためにどれほど懸命に働いたかを知り、比較的質素な生活習慣と勤勉さを身につけました。彼は、水道のない生活から現在の地位に至ったことを「極めて幸運」だと考えています。幼少期は誰もが同じ境遇だと考えており、世界がどんどん大きくなり、より良くなっていくのを経験しました。これは彼が新しいものを受け入れる考え方を広げるのに役立ったと語っています。
カナダでの生活は非常に良い経験だったと述べています。特に安全で学校教育の質が高い環境に感銘を受けました。学校はプレッシャーが少なく、英語を勉強する時間も持てました。
高校時代は、週に約15時間バレーボールをし、学校のバレーボールチームで4年間キャプテンを務めました。
学業はまずまずで、特に数学が強かったと述べています。中国の教育システムがより厳しかったため、カナダの学校では数学で高いレベルのクラス(中学2年生で高校1年生レベルの数学)を受講することができました。カナダの全国数学コンテストにも参加し、ほとんどの年でトップ100、最後の年にはトップ25に入賞しました。
英語は第二言語として難しかったものの、高校の英語教師との関係は良好で、語彙は多くなかったものの、「機知に富んだ文章」を書くことで自信を得ました。
高校卒業後、CZ氏はマギル大学に進学しましたが、最終的に学位は取得しませんでした。それは彼が在学中、毎夏インターンとして働いたことも理由として挙げられます。
3回目(大学3年)の夏には、東京のトレーディングシステム会社でインターンシップを行い、そこでジュニアソフトウェア開発者として働きました。まさにそのトレーディングシステム会社が東京証券取引所にサービスを提供していたのです。
4回目(大学4年)の夏、また同じ会社からオファーを受け、インターンとして働きに行ったところ、プロジェクトの度重なる遅延により、会社側から大学を1学期休学することを勧められ、プロジェクトの完遂を支援してほしいと言われたそうです。CZはそれ以降、学位を終えるためにマギル大学に戻ることはありませんでした。
その後、学位なしでの仕事ビザの取得が困難になったため、オンラインの通信教育で学士号を取得しました。
東京で数年働いた後、2000年のドットコムバブルが弾けた影響で転職を余儀なくされ、2001年にニューヨークのブルームバーグに入社しました。
ブルームバーグにはシニア開発者として入社し、2年で3回昇進し、最終的には60人、後に80人のチームを管理する立場になりました。
しかし、昇進の機会が限られていると感じたため(当時、同じレベルで最も若く、唯一のアジア人であったため、昇進には誰かが引退するか亡くなるのを待つ必要があると感じた)、4年後にブルームバーグを退社しました。
2005年には、上海で新しいスタートアップ企業「Fusion Systems」を共同設立しました。
この会社は東京、香港、上海、ロサンゼルスに4つのオフィスを構え、約200人の従業員を抱えるまでに成長しました。
この会社で8年間働き(2005年から2013年まで)、当初は苦戦したものの、最終的にはわずかに利益が出るようになり会社が持続可能になるまで成長しました。
そこで出会ったのがビットコインでした。
2013年に最初にビットコインに出会ってから、それを完全に理解し、強い確信を持つまでに約6ヶ月かかったとのことです。
彼はビットコインのテクノロジーが「インターネットよりも大きくなる」と確信しました。
その確信は、異なる国での生活経験(両替での損失経験)、技術的背景(1998年には既にPGP公開鍵暗号を使用)、そして金融テクノロジーのバックグラウンド(ブルームバーグや東京証券取引所システムでの経験)の組み合わせによって培われました。また、当時のビットコインコミュニティに魅力を感じました。
当初はFusion Systemsでビットコイン決済サービスプロバイダーを立ち上げようとしましたが、他のパートナーが興味を示さなかったため、彼は会社を辞めてビットコイン業界に参入することを決意しました。
そして、2014年1月には自身のマンションを売り払い、その資金をすべてビットコインに投じました。
ビットコインの価格が70ドルだった2013年7月に紹介され、完全に理解した12月には1,000ドルに達していたため、「乗り遅れた」と感じたと言います。
彼はビットコインを800ドルから400ドルの範囲で購入し、平均購入価格は約600ドルでした。
しかし、その後ビットコインの価格が大幅に下落し、彼が購入した価格の3分の2(200〜150ドルまで下落)を失うことになりました。これが彼の経験した最初の仮想通貨の「冬」でした。
家族は比較的協力的でしたが、母親だけは「なぜこんなことをしたのか、ブルームバーグでの良い仕事を辞めてまで」と不平を言ったそうです。CZ氏自身は「早すぎただけ」だと考えていました。
Binanceを設立するまでの経緯は次の通りです。
2013年当時から自身で仮想通貨取引所を立ち上げることを考えていましたが、経験が不足していると感じていました。
一時的に別の中国の取引所に加わりましたが、1年足らずで辞めました。
Mt.Gox破綻後の2014〜2015年には日本でビットコイン取引所を立ち上げようとしましたが、VCからは「すでに多くの取引所がある」ことを理由に「他の取引所への技術提供者になるべきだ」と助言されました。
そこで、チームと共に取引システムを構築し、B2B(企業向け)で取引所システムを提供するビジネスに転換しました。このビジネスは成功し、30以上のクライアントを獲得し、安定した収益を上げていました。
しかし、2017年初頭、中国政府がクライアントのほとんどを閉鎖したため、彼らはサービスを続けることができなくなりました。
この時、彼らは約25人の技術者を中心としたチームを持っていました。そこで、彼らは「今こそ自分たちで取引所を立ち上げよう」と決意し、Binanceを設立するに至りました。アイデアは重要ではなく、実行が重要だとCZ氏は述べています。
Binanceの急速な成長(2017年〜)
Binanceは2017年7月14日にローンチされました。
当時の他の取引所のほとんどがビットコイン中心だった中、BinanceはERC20トークン(ICOブームの中心)を積極的にサポートするというニッチな分野を捉えました。
さらに、カスタマーサービスを大幅に改善し、24時間以内(最終的には1時間以内)のサポート対応を導入しました。これは、当時数ヶ月かかることが一般的だった業界において画期的なことでした。
ローンチからわずか6週間後には中国政府が仮想通貨取引所を禁止したため、Binanceは中国からの撤退を余儀なくされました。CZ氏の国際的な経験のおかげで、彼らは容易に30人のチームを東京へ移し、中国に拠点を置かないグローバルなプラットフォームへと移行しました。
当初は法定通貨チャネルがなく、ビットコイン対仮想通貨の取引ペアを提供する取引所でしたが、これが結果的に彼らをグローバルプラットフォームへと押し上げました。
ローンチから2ヶ月でトップ10の取引所に、さらに4ヶ月後にはトップ5に、そしてローンチからわずか5ヶ月後の2017年12月には、取引量で世界一の取引所となりました。この時期は、ビットコイン価格が3,000ドルから19,000ドルへと急騰した時期と重なりました。
急成長の裏では、システムが負荷に耐えきれず、1時間に20万人、1日に30万人もの新規登録者が殺到するような状況で、CTOやチームはほとんど睡眠を取れない状態でした。
2018年1月、ビットコイン価格の下落により市場が落ち着き、Binanceはシステムを再構築するための「一息つける時間」を得ました。
Binanceはローンチから3ヶ月後には黒字化し、初年度には約10億ドルの利益を上げたとCZ氏は述べています。これはスタートアップとして最速での10億ドル利益達成だったと彼は考えています。
利益は主に仮想通貨で保有し、下落に備えて十分なクッションを持つようにしていました。
ハッキングと「Funds are SAFU(資金はセーフ)」(2019年)
2019年5月、Binanceはハッキングの被害に遭い、ホットウォレットから7,000BTC(当時約4,000万ドル)が流出しました。
彼らは1週間出金を停止しましたが、取引は継続しました。
ハッキングから数時間以内にCZ氏はライブAMAを実施し、2時間ごとにTwitterで状況を更新するなど、透明性の高い対応を取りました。
この対応の結果、出金再開後には出金よりも多くの入金があり、ユーザーの信頼をより強固なものにしました。
有名なフレーズ「Funds are SAFU」は、CZ氏が「funds are safe」とツイートしたところ、あるYouTuberが日本人の口真似をして「funds are safu」と発音した動画を作成し、それをCZ氏がミームとして採用したことから生まれました。
さらなる成長と規制との摩擦(2020年〜)
2020年は「ウォームアップ」の年であり、Binance Launchpadの立ち上げなど、多くの新機能を導入し、システムを継続的に改善しました。
2021年は「爆発的な成長」の年でした。ユーザー数は年初の2,000万人から年末には1億2,000万人へと5〜6倍に増加し、ビットコイン価格も6万ドルに達しました。この時もシステムやカスタマーサポートで苦戦はありましたが、チームはより大規模で成熟していました。
Binanceが世界的に成長するにつれて、各国政府からの監視が強まりました。
2022年11月のFTXの破綻後、中央集権型取引所の資金安全性に対するパニックが広がり、Binanceは1週間に140億ドル(ピーク時には1日で70億ドル)の引き出しを処理しましたが、問題なく対応できました。
しかし、その1ヶ月後、2023年1月にはSEC(米国証券取引委員会)からBinance US、Binance、そしてCZ氏に対して訴訟が提起されました。SECは、FTXのように顧客資金を移動させたなどと詐欺の罪で訴えましたが、裁判官はSECに「証拠がゼロである」と指摘しました。
この訴訟により、Binance USは銀行チャネルを失い、Coinbaseの取引量の約35%程度あった取引量も約1%程度にまで市場シェアが激減しました。
DOJとの司法取引と収監(2023年〜)
SEC訴訟の後、DOJ(米国司法省)による調査が進みました。
CZ氏はDOJとの司法取引で、銀行秘密法違反の1つの罪を認めることに同意しました。詐欺行為や過去の犯罪歴はないとされています。
彼は判決を待つため、自ら米国に飛びました。収監される可能性も認識していましたが、当所その可能性は低いと考えていたため渡米したと言います。
彼が米国へ向かった背景には、国際的な逃亡者としての生活を望まないこと、自身のビジネスやBNBトークン保有者、さらにはビットコイン価格への悪影響を避けたいという思い、そして米国司法制度へのある程度の信頼がありました。
当初は判決までの3ヶ月間、米国での移動が制限されないと約束されていましたが、政府が保釈に異議を唱え、彼は米国に留まることを余儀なくされ、家族と離れて6ヶ月間判決を待ちました。
彼の保釈金は1億5,000万ドルで、3人の友人が家を担保に提供しました。
最終的にCZ氏は4ヶ月の懲役刑を言い渡されました。彼はこれを「驚き」だと感じました。なぜなら、詐欺や前歴がない銀行秘密法の一度の違反で米国史上初めて実刑判決を受けた人物だったからです。
DOJは彼を判決直後に手錠をかけて連行するよう求めましたが、裁判官は彼の良い行動を理由にこれを拒否しました。
米国市民ではないため、彼は最低警備刑務所ではなく、低警備刑務所に収容されました。
彼の最初の同室者は、2人の殺人を犯した人物でした(30年刑期のうち18年を終えていた)。
刑務所では民族別にグループ分けされており、CZ氏はアジア系のグループに配属されました。
同室者とはうまくやっていけましたが、彼の最大の難点は「いびき」だったそうです。
ブルームバーグやウォールストリート・ジャーナルが彼を「米国刑務所に収監される最も裕福な人物」と報じたため、恐喝されることを懸念していましたが、実際にはそのようなことはありませんでした。
刑務所では、他の受刑者や看守に仮想通貨や投資について教える「勉強会」を開いていました。刑務所のテレビの1台は金融チャンネルに変更され、ビットコインの価格がモニターされていたそうです。
収監後の視点と未来
恩赦(Pardon/パードン)について: CZ氏は恩赦を望まないわけではないとしつつも、そのプロセスには詳しくないため、コメントを避けています。ただ、判決の5日前にエリザベス・ウォーレン上院議員がテレビで再び仮想通貨への「宣戦布告」をしたことなど、政治的な要素があった可能性を指摘しています。
法戦(Lawfare/法律を武器とした戦争。 武力を使わず、法的な既成事実を積み重ねることによって相手を陥れること)について: SECに関しては「明らかに法戦があった」と述べています。2025年現在、一度政権を明け渡したのち再選したトランプ政権は仮想通貨に対してより合理的で、新しいテクノロジーのニュアンスを理解し、イノベーションと消費者保護のバランスを考えていると評価しています。彼は刑務所にいる間にトランプ前大統領が親仮想通貨を表明し、ハリス副大統領も親仮想通貨になったことに驚いたと語っています。
資産について: 彼は「生きていくのに十分なお金」と「何かをするのに十分なお金」を持っていると述べています。お金はもはや彼にとっての制約ではなく、才能、人材、健康、時間の方が限られた資源だと考えています。
仮想通貨の未来について:
米国政府が仮想通貨を推進している現状に「極めて強気」な見方を示しています。
ETFやBTC/ETHトレジャリーなど、より多くの機関投資家の参入が見込まれると予測しています。
AIとブロックチェーンの交差点がさらに大きくなると考えています。
各国政府が分散型ID、土地所有権、医療、福祉、税金など、幅広い分野でブロックチェーンを採用しており、ブロックチェーンが取引や金融以外の多次元的な領域へと拡大していることを挙げています。
米国がリーダーシップを取ることで、世界の他の国々もその政策に追随するだろうと見ています。
Binanceは米国が仮想通貨の首都となることに貢献したいと考えていますが、現在の規制により制限があることを示唆しています。また、米国では仮想通貨取引手数料が他国に比べて10〜20倍も高いことを指摘し、改善を望んでいます。
個人の哲学: どんな障害(ハッキングや法的な問題など)に直面しても、「ただ進み続ける」ことを信条としています。与えられた状況の中で最善を尽くし、前進し続けることが重要だと語っています。
CZの現在の状況は、以下のようなものとなっております。
・最近の釈放: CZは、銀行秘密法(Banking Secrecy Act)の単一の違反で米国で4ヶ月の刑期を務め、最近釈放されました。彼はこの件に自主的に対応するため米国へ渡りました。
• バイナンスCEOの辞任: 彼は刑に服する前にバイナンスのCEOを辞任しており、多額の罰金を支払っています(会社はさらに多額の罰金を支払っています)。
・Giggle Academy(ギグルアカデミー)の概要とCZ氏の関与: Giggle Academyは、Binanceの共同創設者であるチャンポン・ジャオ(CZ)氏が立ち上げた非営利のオンライン教育プラットフォームです。Giggle Academyの主な目的は、世界中で教育を受ける機会のない子どもたち、特に南アジア、西アジア、サブサハラアフリカの識字率の低い地域に住む1年生から12年生(およそ6歳から18歳)の子どもたちに、無料で基本的な教育を提供することです。CZ氏にとって、BinanceのCEOを退任した後の「次のプロジェクト」として位置づけられています。










