もずくです。
の続きです。
博士課程を修了し、一足先に関西の某大学に教授として移った指導教員に呼び寄せられて、特任助教(助教授じゃないよ)を1年経て、正規雇用の助教になりました。
ここでも研究はしていたのですが、基本的に過去のシステムを新しい機器を使って再構築する感じでしたので、プログラミング言語は相変わらずC言語でした。
あとは、厳密にはプログラミング言語ではないのですが、OpenGLという3次元CGを描画するためのライブラリ(正確にはAPI)やOpenCVという画像処理(コンピュータビジョン)のライブラリを使用していました。もちろん、C言語から。
プログラミング言語に関していうと、某シンポジウムの若手企画のウェブサイトを作る役目を仰せつかって、(いま思えばリスクを考えずにすごいことをしたな…と思いますが)個人的に気になっていたRuby on Railsを使って2日ほどで申し込みサイトを完成させました。
ちょうどRuby on Railsが流行ってきた頃かと思いますが、ユーザ認証からデータベースまで、設定ファイルを書いてコマンド一発で完成するのだからすごいですよね。ほとんどの時間は、eRubyというPHPのRuby版みたいな拡張でウェブサイトのビュー(見た目)を作っていました。
この記事を書いているときに当時のウェブサイトが残っていないか検索して、自分の業績リストから抜け落ちてしまっていたこのシンポジウムの報告書を発見しました。すごい…
この助教時代は、私のプログラミングスキルとしてはあまり成長のない時代でした。とにかく業務が忙しくて…
学会発表や業務などで海外出張が多く心身とも疲れ切った(パニック障害を発症して国際線に乗れなくなった)のもあって、もうちょっとマイペースに働ける大学に移りました。
というわけで、10年連れ添った(?)指導教員の下を離れ、新天地に同じく助教という職位のまま移りました。2009年の春のことです。もしタイムマシンでこのときに戻れるのなら、間違いなく全力でビットコインをマイニングします。
さて、WindowsとC++をこよなく毛嫌いしていた指導教員の下を離れたので、自分のPC環境をLinuxからWindowsに移行し、新しい自分の研究システムをC++で作りました。このとき初めてオブジェクト指向プログラミングに本格的に挑戦したかと思います(このときだけですが…)。
それからこの大学を離れるまでの6年間、私のメインの開発言語はC++でした。といっても、自分でシステムを開発するというのは最初の2年ほどで、あとはもう学生のほうがプログラミングできるので(情報学科だったので)お任せしていました。
で、結論としては、C++はもういいかな…と。書いていて楽しくなかったので。
その他、またまた学会のウェブサイトを担当することになり、受け継いだPHPのソースコードをリファクタリング(再構築)しました。
テキスト処理などのスクリプト言語としてはRuby一択。Rubyを使っているときが一番楽しいですね。
あとは、興味が湧いたのでD言語とかもちょっと触ってみたりしていました。
一方、授業ではC言語を教えていました。6年間、毎年1年生のプログラミングの入門科目を教えました。初心者にC言語の基礎を教えるのはもうプロといってよいと思います。なんにせよ、C言語とは縁の切れない人生です。
それから、授業でフィジカルコンピューティング(マイコン+プログラミング)を扱っていたので、Arduinoも触りました。ArduinoはC言語に似たシンプルなスクリプトです。
そんな感じで、ここまではほぼ自分のためにプログラミング言語を選んできました。
研究で学生にプログラミングさせるときも、単純に、最も適したプログラミング言語を選ぶように指示するだけ。それで躓く学生もほとんどいなかったので。
ところが、ここから講師として現在の大学に移り、状況は変わってきます。