所用で世田谷区は成城へ行きました。
成城の南側には次大夫堀公園(じだゆうぼりこうえん)という公園があります。
公園名は小泉次大夫が昔この地域の用水を確保するために作った堀の名にちなんでつけられました。
面積は約38,000平方メートルで650メートルの水路を有し、その水路に沿って、当時の古民家や水田(1,400平方メートル)が配置されています。水路や池には、コイ・メダカ・アメンボもたくさん生息しており、コサギがきてドジョウをついばむ姿も見られます。
ということで、東京23区内ですが自然豊かな公園です。
水田や古民家があるとのこと。
公園に入ると、まずは水田がありました。
ここだけ見ても、23区とは思えない風景ですね。
ちゃんと水路も整備されていました。
公園内を進むと、古民家が見えてきました。
竹林が隣にあって、いかにも和風な風景です。
世田谷区のホームページによれば、
次大夫堀は、江戸の初期、小泉次大夫の指導で開削された農業用水(六郷用水)の別名です。
(中略)
そこに江戸時代後期の古民家と土蔵、納屋、消防小屋などを移築復元したのがこの民家園です。昔の世田谷の農家の暮らしをまるごと復元しています。
とのこと。現在は住宅街てすが、江戸時代は農家が多かったのでしょうね。
火の見櫓がありました。
まさに時代劇などで見る火の見櫓です。
旧加藤家住宅の建物では、ちょうど養蚕の展示をやっていました。こちらのお家は明治期に養蚕を盛んに行っていたそうです。
蚕の病気予防のために部屋の清掃や消毒をしていたとのこと。
食べ残した桑の葉や糞は毎日掃除し、寒い日は囲炉裏で部屋を暖めるなど、だいぶ手をかけて世話していたようですね。
旧城田家住宅。
江戸時代末期には酒屋を営んでいたようです。
園内にはなかなか立派な土蔵もありました。
旧秋山家の土蔵とのことで、穀倉として使われていたようです。
こちらは旧安藤家住宅。大きなお家だと思ったら、村名主だったとのこと。立派な茅葺屋根ですね。
家の中に入ると、囲炉裏がありました。
上の電灯はもちろん当時は無いですが、ノスタルジーのある感じを醸し出していました。
それほど広いという訳ではありませんが、古民家も園内もよく整備されており、なかなか良い公園でした。
古民家をモノクロに加工してみました。
歴史教科書に載ってそうな感じ。