戦術とは一点に全ての力をふるうことである。
どうも、ナポレオン・ボナパルトこと、noDta(ノディータ)です。
今、最も注目される若き起業家が生きていくための路上ライブで身につけた人生とビジネスの本質をすべて明かすーー
――みなさま、ご存じですか?
秋元さんが "堀江以来の天才がいる" というから会ってみたら、本当だった。
by 堀江貴文さん
勝算なんてなんの根拠もないことを、この若き経営者は知っている。だから前田裕二を信じた。
by 秋元康さん
そう、SHOWROOMの代表取締役 前田裕二さん の著書です。
先日(2019年2月1日)、前田さんのお話を直接聞く機会を得られました。それが大変面白かった(interesting)もので、みなさまにもぜひその一部をお裾分けさせてさせていただきます。
それでは以下にQAのポイントをまとめます。
愛されるよりも愛したい(マジで)
僕が愛されているのかどうか、それはちょっとわからないですけど、どちらかというと "愛されるより、愛するのが得意" です。"愛する選手権" があれば上位に入れる自信がある。もちろんそれはトレーニングをしたから、なのですが。愛することができる人は、感覚的にですが、一般的に、多くの人に愛されているように思います。
えっ、愛するためのトレーニングをしたの!?
こういう種類の人たちは好きになれそうもないな、という人たちを限られた時間の中で好きになる訓練をしたんです。
たとえばタクシーの運転手さん。個人がどうということでなく、彼らのことは接点の都合上、減点方式で見てしまいがち。普通に運転できて当たり前で、道を間違えた、とかそういうのでマイナスイメージをもってしまう、というか。。。
では、どうやったら好きになれるのか?
方法は、2つ、あります。
1.物語を(勝手に(笑))創造する。
2.(相手が話好きか否かを見極めたうえで)声をかける。直に接する。
お話好きな運転手さんだったという前提で、たとえばネームプレートで確認したところお名前が "二郎さん" だったとします。そうしたら僕は「運転さんって、次男なんですか?」と尋ねます。「えっ、なんでわかったの?」「いや、名前が二郎だったものでーー」
ここから物語を創造します。
次男であるということは兄の一郎くんがいますよね。彼の4つ歳上だったとして、二郎くんが産まれたときはどんな感じだったのか?
お父さんと一郎くんは連絡を受け、慌てて病院に向かいます。ここはもう、タクシーで向かうべきでしょう、物語として(笑)
そうして到着した産婦人科で、今か、今か、と待ち続け、遂に二郎くんが産まれます。お父さんは感激のあまり号泣です。一郎くんもつられて泣きます。
そんな涙涙の感動の中、お父さんはなにより優先してお母さんへ感謝の気持ちを伝えます。そういう素敵なお父さんの背中を見て、一郎くんも良い男に育ちます。
そんな素敵な家族から愛された二郎くんは健やかに成長しーー
そんな風にストーリーを描いていくと、タクシーを降りるときにはもう泣きそうになります。
だって、そうでしょう? これで一生のお別れになるんだから。
もう二度と会うことはない、っていうのは言い方を変えれば死別にも等しい、というか……そう、僕の中で、二郎はこのタクシーを降りたら死ぬんです。そう考えると、なんかもう「二郎が死んだ」という小説が書けちゃいそうなくらいの気持ちになっちゃいます(笑)
でもこれは意外に大袈裟ではなくて、Twitterアカウントとか知らなくて、自分のファンでもない。そういう相手とは、もう二度と会えないんです。
そうした気持ちをそのまま言葉にして、僕は、タクシーを降りるときに「もう会えないなんて悲しいですね」とか言うんですよ。そうすると、結構、あめ玉をもらえたりします(笑)
あめ玉をいくつもらえるか、とかゲームにしても良いですね。ストーリーを濃くイメージできれば、少しくらい運転手さんが道を間違えたとしても、このまま会えなくなるよりも(死別するよりも)良いんじゃないか、なんて思えたりします。おのずと会話も弾んで距離が近づきますし、そうすると益々好きになれます。相手を好きだと思えれば、自分の脳はどんどん相手の好きな部分を探しにいってくれますしね。
っで、そんな風に思えるようになったなら、そんな自分って素敵じゃないですか?
いや、そんな前田さんこそ素敵です! 結婚してください!! 世界中の皆が一斉にそう思えたなら、争いなんてこの世から一瞬でなくなるのに!!
愛というものは、愛されることによりも、むしろ愛することに存する。
by アリストテレス
2つ、あります。
えっ、また? なぜ、2つ、なの?
[ここはいきなり横路に逸れるような編集になります(笑)]
人と違うほうが良いから。僕もむかしはそうだったけど、3つに絞って説明する人がすごく多いんですよ(笑)
だから、2つ。
2つなら3つより覚えやすいし、1つよりも満足感が得られるから。
ちなみに、質問されてすぐに答えを返せないのは、自分がいくつ答えるかを決めていないから。はじめから、例えば2つと絞っておけば、おおよその質問には答えられます。問いにあわせ、自分の中で重要なものを上から2つ選ぶだけになるので。
[さて、ここからが本回答です]
【戦略1】仕事としてやるなっ!!
すいません、いきなり完璧に私の意訳です!! ジェントリーな前田さんは、そもそもこうした高圧的なフレーズはチョイスしません。ぜひ読み手側で、良い感じに、脳内変換をお願いします(笑)
個の時代はインターネットによってもたらされています。僕はインターネットの本質は "個にチカラを与えること"、だと思います。TwitterやInstagramなどのSNSでは芸能人でなくても個人で影響力を拡大できるようになっていますよね。
皆さまからしたらどうでも良いことなのだろうと思いますが、常々 "本質を見極めることが重要" と考えてきた私としては多岐に渡って垣間見える前田さんの "本質を見極める姿勢" に感動を覚えました!!
そんな個の時代で勝つには、この "インターネットをいかに使うか" が重要です。
大事な心得としては "好きなことでないと勝機が少ない" 、ということ。本気か否か、熱量は必ず伝わるから。例えばSHOWROOMやTwitterでアイドルが動画配信をする場合も「○○が好きだとか、本当に伝えたいことがあって、それで配信しているのか」、それとも「事務所に指示されて、仕事としてやっているのか」、これは見ている側は意外とわかります。後者では視聴者の心を打つことはできません。だから、本当に好きなことをやるべきなんです。
【戦略2】メモの魔力、自己分析1000問ノックをやれっ!!
またまた完璧に私の意訳です!! 清潔感200パーセントの前田さんはこんな泥臭いカタチで宣伝を放り込んできません(笑)
なにをやるのか、それを "外" を見て決めるのか、"内" を見て決めるのか、これはけっこう重要なポイントです。
<外を見る>流行りを見極めて戦うステージを選択する。
<内を見る>己と向き合い、やりたいことを探り当てて戦う場所にする。
短期決戦であれば前者もありです。しかし事業性が高いのは、断然、後者です。やりたいことなら続けられるから。やり続けられれば事業性を持ちます。事業というのは結局はやり続けられれば成功するんです。失敗するのは途中で辞めてしまうからなんです。
例えばホリエモンさん。彼はすごく楽しそうにロケットを飛ばす挑戦をしています。やりたいことだから、です。だから打ち上げに失敗しても、それは次回の成功確率を上げるために必要なデータ採取の場だった、と捉えられるんです。
流行りに乗っている場合、こうはいかない。だから、やはり、自分の好きなこと、能動的に続けられること、をやるべきなんですね。己を深堀りし、それを見つけることがすごく大切だと思います。
おおっ!? それじゃあ、今、やりたいことが見つかってない人はメモの魔力の自己分析1000問ノックで見つければいいんじゃん!!
ここは2つというか、2パターンに分かれますね。
【パターン1】努力を努力でなくし、習慣に変える。
(ボトムアップ)落合陽一さん、堀江貴文さん、箕輪厚介さんのようなタイプです。"モチベーションとか吐き気がする"、って言っちゃうような(笑)
息をするのに努力なんて必要ないわけで。息を吸うようにやっていることが、相手から見たら努力と言われる、という状態にもっていくというのか。
努力を努力じゃあなくす。習慣にする。
そのためには、さらに2通りの選択があります。
【1つ目】そもそも努力と思わないようなことをする。
これはやっぱり好きなことをする、ということです。猫好きで、猫の動画を毎日見ている人は、努力してそうしているわけではないでしょう?
【2つ目】めちゃめちゃ高い熱量ではじめて、最初の数ヵ月で習慣に変える。
これはもちろん最初は苦しいけれど、そこまでやり切るんです。
個人的にはパッと筋トレとかそういうのが頭に浮かびました。
それからドラゴンボールZの孫悟空と孫悟飯のイメージが。セルゲームに挑む際の準備のシーン。常時、スーパーサイヤ人でいることで、それを当たり前とし、習慣とした、あのくだりのところです。
あるいは習慣に変わらないかもしれないけれど、やり続けられることを見つけて、やる。 これもありですね。
前田さんは(私的には意外にも)、1つ目ではなく、この2つ目のスタイルなんだそうです。まさしく "やり切る" を体現しているカタチ。
これはちょうど次に説明しようと思っていた "努力しつづけるコツ" のパターン2にあたります。
【パターン2】仮想ライバルをつくる。
(トップダウン)やり方は様々あるけれど、僕は、映像ベースでスイッチをもっています。書籍の終章にも書いた "黒板の前に立つ少女" のエピソードなんですが……あっ、あの子は "アカサキさん" って言うんですよ(笑)
僕は兄に育てもらったんですが、兄を喜ばせたくて、なにができるかと考えたら、まず良い成績表を持って帰ることだったんです。それで頑張ったんですが、どうしても越えられない壁があらわれて。それがアカサキさんでした。黒板に、こう "素数" とか書いちゃって、すごく賢くて。。。
悔しかったのは彼女の家が裕福だったこと。僕はそうではなかったので。彼女は実はすごくお金のかかる塾に入っていたんです。僕は当然ながら入れなくて。そこで強烈に貧富による機会不平等の差を感じたんです。それがアカサキさんのドヤ顔として今でも頭に残っていて(笑)
眠いときでもその顔を映像として浮かべると頑張れるんです。会食のあと、深夜2時、そのまま帰るか、職場に戻って仕事をするか、そんな選択に迷うときに。僕の中のイメージでは彼女は帰るんですよ。だから、僕は、帰らない。与えられる機会で劣っているんだから、彼女が寝ている間にやらないと勝てないじゃないですか。
こういうのがあると頑張れるんですよね。つい先日も、その前も、僕はこれで頑張れました。繰り返し繰り返し内省し、ここはすごく苦しい作業になっちゃうんですが、昔の自分の悔しかったこと、辛かったことに向き合えば、それを見つけられるんです。すごく苦しいですけど、そこを抜けたらすごく強いです。
ちなみに、ここまでの話をもう一度話せるか。そういうのはすごく大事です。構造化、ですね。メモがきちんと取れていれば、それができます。
ところで、"メモの魔力" で僕が伝えたいこと、それは本質的には "メモを取ること" ではないんですね。実はメモを取ることを通じ、"僕の思考のフレームワークを皆さんに提供したい" んですよ。僕として思う "創造的な思考" というものが、こうすれば出来るようになるよ、と。
はい、来た! 本質のところのやつ!!
企業と提携して進めていますね。ただ……出来上がるのが半年後、とかって(泣) それじゃあ遅すぎるんですよね。僕、おじいちゃんになっちゃいますよ。それなら自分で作ろうかって思いますし。それを伝えたら企業の側ももう少しやってみてくれる、ということでした。
落合陽一さんがこれからは大企業や中小企業という尺度でなく、高速企業や低速企業として切り分けるのも良いのでは、といっていたお話を思い出しました。
あっ、それからペンもつくっているんですよ。メモの魔力風にしたいからアンティーク感があると良いのかな、とか思ってます。SNSで皆さんの意見を聞いて考えているところです。
そうです。ペンを変えるだけでやる気がでたりするんですよ。こういうのは意外に大事なんです。
人は身を置く環境によって相当な部分がカタチづくられるもの、と私は思います。そして、ペンや服も環境の1つなのかと。
彼の有名なナポレオンは、(嘘か、真か)戦場に欠かさず歯ブラシなどの身だしなみグッズを持っていったのだとか。さらには部下にも配ったのだとか。
制服を一新しただけで、従業員は既存メンバーままで、パフォーマンスが格段に向上した会社も実際あるわけで、こういうのは本当に大切なんだな、とあらためて感じました。
そういえば織田信長が茶道を重んじ、武士の世に広めたのは、一説には荒くれ者の配下の者らにせめてものマナーと教養を身につけさせたかったからだとか。先のナポレオンの件もきっと同じなんだろうと思います。
”清潔感を纏えば自らの内面にもそれが染み入ってくる" とでも言うのか。
ぜひぜひ、"このペンを持っているときにはサボれないな!" と深層心理にがっつり働きかけてくるようなペンが誕生することを期待してます!!
今回は "地方(ローカル)での戦い方" など他にも面白いお話がたくさん聞けました。しかし、とりわけ 私が 驚きと共感、そして感動を覚えたのは、前田さんの "努力に対する考え方" でした。私は、理解まではしているものの、前田さんレベルでの実践が出来ていません。それでも方向性が似ていたので、それだけでなにやら嬉しい気持ちにさせてもらえました。本当にありがとうございます!
やり切るだけではダメなんです。
でも、多くの人がやり切ることだけを努力だと捉えている――
前田さんはこのあたりを "ダイヤモンドを掘り当てること" を目的とした物語とし、ドラクエを織り交ぜてすごく楽しくお話してくれました。
私もスイミングスクールで子供たちに水泳を教えていた頃に似たような話として "目的地へたどり着くには?" という例で、以下のような話をしていました。
18時までに目的地に到着しなければいけない。
さて、2人のうち どっちががんばった子かな?
A.ヨーイドンでがむしゃらに走り出し、あちこち駆けずり回り、18:05にたどり着いた子(ゴール時にはヘトヘト。涙と鼻水まみれのボロボロの姿)
B.まずは地図を見てルートを調べ、線を引き、きちんと準備をし、ペース配分どおり悠々と歩いて17:55にたどり着いた子(ゴール時にはほとんど汗も掻いておらず、余力たっぷり)
言わずもがな、"B" こそが努力した子でしょう。
それはこうして例にすれば当たり前の答えになります。ただし、世間的には必ずしもそうではない。
私的には、ここがすごぉ~く重要なポイントだと思っています。
前田さんは当然のように上記もきっちり抑えていて(私などが言うのは大変失礼な感じで申し訳ないのですが……)、すごく聡明な方だな、と感じました。
やり切るだけではダメーーでも、世間の人はそれに気づいていないし、それがラクだったりするので、僕としてはあまり直接的にそれについては言及しない方がいいんじゃないかな、って思っています。「それ、やり切るだけになってない?」と1人で心の中に留めておくくらいにした方が良いのかな、っと。言葉にするといろいろと揉めちゃうから(笑)
これはもう、まったくそのとおり!!
実体験として、私も、身をもって感じたことが多々あります。分かりやすいのはスポーツです。いろいろと痛感させられました。
やっぱり、どうしても、"汗水垂らしてヘトヘトになっている姿" を見せた方が、プレーの出来を問わず、がんばったと評価されるので(泣)
"最小限の労力で、最大限の効果を" と実践して結果を出しても、余力を残していると微妙に扱いが悪い、というか……
逆に、実は手を抜いていて、余力もあって、でも結果は微妙、というときに、"ヘトヘトで今にも倒れそうです" って演技をしてみると けっこう評価されちゃったりするんですよね(笑)
その理由もだいたい想像は尽きますが、それはちょっと、なんというか、私の好きな考え方ではないかなぁ~。。。
――結果を出したからこその、努力。
――努力したからこその、結果。
個人的には上記の2つはイコールで、表裏一体です。だから結果を出せなかったなら "遊んでいた" のと同義だと思います。結果が出せなかったのは正しい努力をしなかったから。努力めかして労を費やすだけの、考えるより前にラクな道を選び、それで満足してしまっていたから。
(結果にはつながらないくせに自分に言い訳がつけやすい点、決して楽しいわけでない点、この2点を鑑みれば、本質的には、純粋に "楽しく遊んでいる方" が、"無駄に労を費やす" よりも、いくらかマシと言えるのかも?)
"結果だけでなく、仮定をーー" という言葉も、本質を見誤るとかなり危険だと思います。(耳障りが良い分、よけいに)
上記は、先の "個の時代を生き抜くための戦略ー【戦略2】" のホリエモンさんのような事例で、"その瞬間に結果が出なくても、次の結果につなげられるから無駄ではない"、という考え方なのでしょう。
しかし次の結果につなげられないものであったならば、この枠にはおさまりません。残念ながらただの無駄です。
"どんなことでも、なにかの結果につながる" と言われれば否定するのは難しいですが、とはいえ人生は有限で、結果を出すにしてもタイミング、つまりは期限というものがあります。時間を無視するわけにはいきません。
だから "極薄く、間接的に、曖昧に、遠回り的に、その後なにかの結果につながるようなこと" を慰めで良しとするのではなく、"直接的に、明示的に、最短距離で結果に結びつく行動" をのみ、"努力" と評価すべきなのだと私は思います。
……であるからして、ここまでのお話を踏まえると、悲しいかな、私は今のところ "年中無休の遊び人" です。無駄にあれこれ手を出し、ドラゴンボールの天津飯の "四身の拳" よろしく、己のチカラを分散させてしまっているのがよくないのでしょう。"Trustlessによって成り立つ信用で回る分散型社会" を夢見ているとはいえ、己のチカラまでDecentralizedしてはいけませんね(泣)
皆さんは割といろんなことに手を出しがち。いろいろと掛け合わせるのも良いけど、まずは1つ、突き抜けないと。その後でなにかと掛け合わせるから魅力的なコンテンツになるんです。1つだけに集中しても半端な努力では突き抜けられないわけで。だから、まずは好きなこと1つに集中して結果を出さないと。
これ、今回のお話の中で2番目に耳が痛かったですっ!?
いやあ、もう、あっという間の2時間でした。けれど、たくさんの学びを得ることができました。前田裕二さん、関係者各位、あらためまして本当にありがとうございました!!
ちなみに以降の蛇足部分まで含め、本記事は9,696文字です。
※加筆修正により今では文字数が変わっております。
前田さんが、日常的に "10,000文字以上のメモを当たり前のように取っている(それも数時間のうちに)" というお話があったので、敬意を表するという意味で、私も 10,000文字相当の記事を書きました。チカラ不足で微妙に 10,000文字に届いていないのはご愛嬌ということで、すいません!?
もちろん 10,000 文字ちかく書いたとはいえ、 "遊び" なんですが。
さて、今回、私が、1番耳が痛かったのはーー
ーーというお話のところです。
まさしくそのとおりでしょう。Twitterでまったく同じことを呟いても、"つぶやきの背景を想像できる人(つまりは芸能人のように多くの人に認知されている人)" と "そうでない人" とでは言葉に上乗せされる物語の量・幅が大違いです。
だからまず何者かに成る必要があるわけで、まだ何者にも成れていない "私" では、それがたとえ "何百万文字という物量(労力)" であったとしても、また "どんなに良い文章" であったとしても、結局は "お遊び" なのです。努力ではなくて。
それでも楽しいので、こうして書き切ることができました。"己の好きなことをやる"、というのはやはり、根本で、本質なのだと思います。そうした領域で何者かに成れたのならば本当に幸せでしょう。そして、それを成せている人はやはりすごく努力されているんだと思います。
――っということで、いつかどこかの影響力のある人が たまたま本記事を目にとめて、いくつかの要素を吸い上げ、代わりに発信してくれる、という奇跡的パターンに期待し、自己満足がてら こちらをネットの海に漂わせさせていただきます。きちんと誰かに釣られてくれよ、我が子よ(笑)
尚、本記事を読んでみて「あれ、ここはちょっと違うんじゃない?」という問題児的な部分があれば、SNSでもなんでもよいので、皆様、ぜひぜひご指摘くださいませ。必要部分はすぐに優等生にまで更正させますので!!
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