経産研の関沢フェローのインタビューが実に興味深いので、テーマを借りパクしてブログを書いてみる。
この寄稿では「経済学と医学の垣根を越えた融合研究を推進する上でのポイントは何か、文理融合研究をリードする人材を今後どうしたら育成できるか」という点についてインタビューが行われているのだけども、実に日本的な障壁が見えて、「そうなんだよなー、だからダメなんだよなあ」というところを述べてみたい。
日本人はとにかく肩書き好き。肩書きというか、カテゴライズが大好き。音楽ジャンルを異常に細かく分けて「パワーメタル」だの「ネオクラシカル」だの「ブルータル」だの「森メタル」だの、あほかとばk(略
つまりはカテゴライズして一定の型に嵌めることで、思考を停止させてラクをしているわけなのだけど、もう高度情報化社会においてそんなのは何の意味もないし、もっと人間は多様なことはみんなわかっていることなんだけど、一度ラクな思考に慣れるとなかなか変われないわけですな。タイパ(タイムパフォーマンス)にも優れるともいえるしね。
一応、日本的な社会文化背景からは以下のような考察ができるんだとChatGPT-4先生は言うんだけども、つまりは「楽に考えたい」ということじゃないかなと思うんすよね。
集団主義の文化: 日本の文化は集団主義に基づいているため、個人はしばしばその所属する集団や社会的地位によって評価されます。肩書きは、この集団の中での個人の位置を明確にする一つの手段です。
社会的秩序と調和: 日本では、秩序と社会的調和が高く評価されます。肩書きやカテゴリーは、人々が相互の関係や期待を理解しやすくするための社会的な枠組みを提供します。
明確な役割と責任: 肩書きは個人の職務や役割を明確にし、責任の所在をはっきりさせます。これにより、効率的なコミュニケーションと組織の運営が可能になります。
伝統と敬意: 日本の伝統では、年長者や上位の地位にある人々に敬意を表することが重要です。肩書きは、このような敬意を示すための手段として機能します。
教育とキャリアのシステム: 日本の教育やキャリアのパスは、肩書きや地位に大きく依存しています。これらは個人の成果や社会的成功の指標と見なされることが多いです。
例えば私の現在の肩書きは「国家公務員」です。お、なんだか偉そう。でも実は民間からの登用で国家公務員試験とか受けてない(もちろん相当する試験には合格して入っているのだけれど)。
定年まで働くなんて悪夢と思ってて完全にアウトサイダーだけど、そういう外部的目線が組織内で珍重&重宝されているという部分もあったりもする(珍獣か)。
しかし、こういう肩書きを見た瞬間、人々は一気にカテゴライズされた世界に放り込まれて、一定の型の「呪い」にかかるわけです。そうすると、例えば先のブログで書いたような、「トヨタ生産システム」とかを私が論じたりすると、『え、トヨタで働いていたんですか』とか言われたりするんですね。いや、もう教科書とか出て一つの生産管理システムとして確立されているほど概念化されてるのに、勝手に障壁を作るんですねぇ。
関沢氏のインタビューで、以下の言葉がありますが、まさにそういうところ。
文理融合という言葉はありますが、現実的には医学と経済学では統計学の使い方や論文の書き方などいろいろな点で違いがあります。文理融合ではなく文理分業です。とはいえ、医学と経済学がお互いから学ぶことでシナジー効果は生じ得ると思います。研究者の多くは「経済学者」とか「医学者」といった心理的な壁を自ら作っているように思われ、こうした壁など本当は存在しないことを認識することが必要です。
いやー、実に日本的です。
こういったカテゴライズ癖が社会の多様性はもちろん、一個人のキャリア形成やリスキリングに悪影響があることは明らかです。自分は○○だから、というカテゴリーに自ら嵌まりこんで、そこで朽ちていく、と。
話を戻すと、「文理融合と異分野間の協力」を行うための、専門知識を超えた共同作業を行うためには、現実的な解決策として、関沢フェローは「共通言語としての統計学」を用いるのが良さそうだということなんですね。これによって理解と協力の橋渡しをするのだと。
確かにそういった共通言語を間に置くのは良いことですが、そもそもなぜ協力しないといけないのか(なぜ異世界の人と話をしないといけないのか)という動機づけには弱いような気もします。
そうなると、やはり個々の研究テーマはそれはそれで勝手にやってもらって、もっと社会的に大きな問題や課題に対して焦点を合わせて、それを解決せよ、という号令をかける役割を「行政(おかみ、と言っても良い)」が担えば結構日本社会でうまくいくんじゃないかと思う次第。
それを考えると、関沢フェローの寄稿にあるように、何が問題になるかといえば、「行政官の学術研究へのリスペクト」こそが重要になってくるんだろうなと。
そういうわけで、経産省だけでなく、幅広い省庁で、理系人材を増やすとか、民間登用をもっとやるとか、そもそも国家公務員を増員するとか、そういった構造改革が必要になるんだなあ、と感じた寄稿でした。
つらつらと書きましたが、今日はこのへんで。