お題に「コロナ」とあったので、ちょっと私の仕事っぽいところも絡めてブログを書いてみようと思いました。
このブログを書いている時点(2020/5/24AM)で、日本政府の定める緊急事態宣言解除の基準、つまり「直近1週間の新規感染者数の累計が人口10万人あたり0・5人程度以下」を達成できていないのは神奈川県と北海道のみとなっています。神奈川県は人口が多いことに加えてパンデミック当初から多数の感染者を受け入れてきたことの背景もあって院内感染等も多発、やっとここにきて落ち着いてきた、というところですかね。北海道はセカンドインパクトが発生したものの、迅速な対応によって抑え込みつつある、といったところでしょうか。
このままいけば、5月末にはさしあたっての緊急事態宣言は解除できるのではないかな、という予測が立つところまでは来たのではないでしょうか。
ただ、緊急事態宣言が解除となったからといって、感染が終息したわけではなく、また、ワクチンも開発途上にあることから、引き続きの個人レベルでの感染防止対策は必要というのは常識的に考えて当然のことです。
世界的にはまだまだ終息が見えてこない国もあるわけですが、全人類的に、今回のコロナショックによって衛生観念や伝染病に対する意識は間違いなく高まったと考えられます。そうすると、コロナ後の世界では、これまでの社会認識とは違った捉え方をする必要があるのではと考えることができそうです。
2008年のサブプライムローン問題に端を発したリーマンショックにおいても、世界的な財政政策の重要性は広く知れたところではありました。日本でも政権が変わって、さらには震災もあって、大きなパラダイムシフトがあったところです。
しかし、リーマンショック時においても、一般市民全体(悪い言い方をすれば町のオバちゃん、私のオカンのレベル)にまで、深く「これはやばい」と思わせたわけではなかったと思います。それが、今回のコロナショックは、私のオカンでさえ、犬の散歩で外に出るのは危険だ、などと言いつつ部屋の換気をはじめるという、わけのわからない行動をとるほどに、広く市民に「ヤバさ」を刻み込むものとなりました。
そうすると、当然ながら「世論」がシフトしていくわけで、今回の給付金のような対策がとられるとなおさら、今後は人々が政府による管理を求めるようになり、権力依存(新しい束縛への逃避)が強まるのでは、と予測できます。この新しい束縛への逃避、という考え方についてはエーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」に詳説されていますので、興味のある方はご一読を。
書評はこちら。
人々は今後、政府に対してさらなる自由経済への介入を求めるようになり、これまでの社会的ニーズであった「格差是正」を政府主導で行えと要求するようになるかもしれません。つまり、富の再分配です(これは経済成長の観点からはマイナスですが)。リーマンショック時の超円高によって加速した、国内企業の海外転出は逆転し、リスクを製品価格に転嫁してでも、国内回帰が強まるかもしれません(特に中国からの引き揚げが顕著になるかも)。これによって人件費削減のために賃金水準は低くなり、成長率は著しく落ちますが、企業の安定性は逆に高まると予測できます。これまで以上に生産性の向上、労働環境の改善、高齢者の再雇用(それに伴う健康増進対策)が求められるようになるでしょう。
いま「リモート」といえば在宅勤務をはじめとした「リモートワーク」が連想されるところだと思いますが、コロナショック以前から、リモートワークについては東京オリンピックを見据えて技術革新が進んでいました。リモートワークだけでなく、IoT技術についても、コロナショック前には「これからの産業」として日経新聞の紙面を賑わせていましたよね。車の自動運転も「リモート」に含まれるかもしれません。
こうしたリモートコントロール、リモートオペレーションの技術分野は、今後、衛生的観点、労働環境改善の観点から、さらに社会的ニーズが高まると予測されますし、資金投入も大きくなると考えられます。いわゆる「スマート家電」のような、IoT技術を生活レベルにまで組み込んだ製品は、これから当たり前の世の中になっていくでしょう。
しかし、反射的な効果として、人と人との物理的距離は遠くなり、人と人、人とモノとの物理的接触機会は減少していくでしょう。これからの世界のキーワードは「非接触」と言えるかもしれません。
世界的にヒットした「バック・トゥ・ザ・フューチャーⅡ」を思い出してみましょう。1985年から未来の世界(といっても2015年ですが)にタイムトラベルしたマーティ・マクフライが「カフェ80's」に設置されている74年製アーケード・ゲーム「ワイルド・ガンマン」を子どもたちの前でプレイしたシーンです。
Kid #1: "You mean you have to use your hands?"
Kid #2: "That's like a baby's toy!"
— Cafe 80's in Back to the Future Part II
2015年の子供たちは「手を使うゲーム?」「赤ちゃんのオモチャみたい」と、マーティを軽蔑の目で見るわけです。
Wiiを始めとした非接触のゲームは2020年現在、すでに存在しますが、ゲームだけでなく、世の中全般として「衛生的観点」から非接触技術の応用が進んでいくのではないでしょうか。上記映画のセリフも、実際には「手を使うゲーム?」「うわ、きたねーな!」となるのかもしれません(笑)。「モノ」はスマホをはじめとした極めてパーソナルな「コントローラ」に集約され、それ以外のモノには極力触らない、という超潔癖社会が来るかもしれません。当然そうなったらコインや紙幣などの「モノ」としてのお金はきたねー対象(汚えカネだ)になるわけで、これまで以上にキャッシュ決済は減ると考えられます。
すでに多くのシンクタンクが予測していることですが、今後は非接触を軸とした産業・企業活動が伸びていくでしょう。
非接触とはいかないまでも、人と人の物理的距離は離れていき、たまに近づくと「人のぬくもりが感じられるサービス」などといってすぐにテレビの特集が組まれるようになるかもしれません。
寿司は機械化し、目の前で職人が握ってくれる寿司は幻のアンダーグラウンド食品になるかもしれません(なりつつある)。
学校教育は少子化の影響で教室内での子どもたちの物理的距離が自然と離れていくでしょうが、塾などにおいては通信教育(e-education)が広く用いられることになるでしょう。大学や資格予備校では現在あたりまえに「講義を中継する」ことが行われていますが、小学校レベルで行われるようになるかもしれません。
買い物は全て通販で行い、宅配ボックスからの盗難が社会問題化するかもしれません(しつつある)。
無線による通信回線はさらに高速化し、いよいよ「電脳ネット」と現実世界の境界があいまいになり、攻殻機動隊の世界が実現するかもしれません。
製造業の現場はさらにロボット化し、サービス業においても機械化・仮想化が進むでしょう。全てがインターネットでつながる社会となり、モノの監視、人と社会との相互監視が進んだ、監視社会となるでしょう。
少々大げさな予測を書いてみましたが、シンクタンクや官僚は、冗談交じりに、でも大真面目に、こうした社会予測をして、どこに投資をするか、どのような社会基盤を構築するか、どのような法体系をつくっていくべきか、次の政策提案は、などと考えているんですね。まあ、当たるも八卦、当たらぬも八卦。
私の仕事でも日々、あれが伸びるとこれはどうなる、風が吹くと桶屋はどうなる、みたいなことを考えていて、いまのようなパラダイムシフトが起きている状況は、不謹慎な言い方ですが「仕事が楽しい」という感じです。
日曜日はこんな感じで客観的に考えをまとめる日にしているのですが、副次的にブログをかいてみました。
では、今日はこのへんで。