この記事はメロンパスさんが提唱するArtLISを応援しています。
(何か役に立つことを書こう、ということで役に立ちそうな話を。長くなりますが、よろしくおつきあいください。)
アート東京(アートフェア東京主催)の調査報告によると、日本の美術品市場規模(作品売買のみ)は推定2460億円。そのうち、現代美術(平面、立体、インスタレーション)は391億円。
芸術家になるためにはどうしたらいいの?
だいたい、世にあふれている回答は芸術家としての心構えとか、覚悟とか、そういった精神論が中心で、具体的な道筋についてはあまり教えてくれたりしません。基本的には、名乗ればなれるのが芸術家というものですから。まずは心持ちが大事。
でも、たぶん、人が聞きたいのはそういうことではないのでしょう。職業芸術家になる、芸術で食べていくにはどうすればいいの?
正解なんてないに等しいですし、僕自身、芸術家でも何でもないの(一応MFA=Master of Fine Arts持ち)ですが、それでも、あえて芸術家になるための具体的な方法について知る限り述べてみようと思います。場に身を置いている人にとってはかなり退屈な話ですが、割と外からの誤解や不明はまかり通る世界なので、あらためて説明と紹介を兼ねて。
書いてて眉唾だなあと思わないでもないんですが、それでも、僕は芸術家になるを目指して悪戦苦闘する人達の姿をたくさん間近で見てきました。最も食えないと見なされていた時期の、現代美術の世界で。
昔、国立国際美術館は千里の大阪万博跡地にあって、平日に訪れると全くのガラ空きでほとんど貸し切りみたいな状態でした。しばし高松次郎さんの<<影>>の前で、ぽつんと一人で佇んで、長い時間過ごしたのを思い出します。思えば過ぎるほどに贅沢な時間でしたが、いま、中之島に移ってきている<<影>>を見るたび、盛況な国立国際の状況を見るたび、僕はさまざまな人達の姿を思い起こすのです。
出自不明な筆名のあてにならなさそうな話ですが、言えそうなことを、書いておこうと思います。何かの参考になればいいな。
芸術家になる方法、たとえば現代美術の領域で、といえば「芸術はビジネス戦略が大事」を説く村上隆さんの著書『芸術起業論』みたいなものを想起するかもしれません。大変に刺激的な本だと思うのですが、ただ一つ、僕は渡米前の村上隆さんの個展を東京までわざわざ観にいったことがあります。
空中に釣り上げられた巨大なDOB君(村上さんお馴染みのキャラクタですね)をしげしげと見上げた思い出があるんですが、要するに村上さんは渡米前から、日本の現代美術界隈では注目のスター作家だったということです。
村上さんが世界的な名声をなすのは、ロサンゼルスでの『スーパーフラット』展などが激賞されたからですが、この頃には米大学の非常勤客員教授の肩書を持っていました。彼の絵画戦略はどう見ても渡米前から始まっています。「日本では全く理解されなかったが、海外で世界戦略を立てて頑張ったから俺は成功したんだ」という彼の描くサクセスストーリーはかなり割り引いて考える必要があります。
全く嘘ではないのですが、彼の「物語づくり」の一環でしかないところもあります。芸術家を志望する人は実際にはもっと手前から物事を始めなければならないことになります。もっと手前の第一歩から、ここでは話を起こしていきます。
最初に。芸術家になるためには、いわゆる画壇、芸術家団体に所属してそこからのしあがっていって、ってなイメージがあるかもしれません。が、これは間違いです。
わかりやすい例を挙げますが、たとえば小説家になりたい場合はどうしますか?
まず日本文藝家協会に所属することを考えますか?違いますよね、賞に応募するなり持ち込みするなり、どこかで評判を得て声を掛けてもらうなりして、出版社(編集部)と契約して作品を出版してもらうことをまず考えるだろうと思います。協会に所属するのはそのあとの話です。
それと同じく、芸術家も第一に考えるべきはパブリッシャーと契約することです。
小説家にとっての出版社にあたるもの、芸術家にとってパブリッシャーとなるもの、それは一般的には画廊になります。画商または美術商というものがありますが、多くは画廊を経営しているギャラリストでもあって、そうした画廊と契約し、取り扱い作家になること。それが職業芸術家を目指す者にとってまず第一の関門です。
取り扱い作家になると、出版社によって小説家や漫画家の作品が出版され、宣伝されたりするように、画廊によって顧客や市場に作品を売ってもらえたり、企画展がなされたりするようになります。これが職業芸術家になる第一歩になります。
こういうふうに取り扱い作家のプロモートや販売をすすめる画廊を企画画廊と言います。現代美術ではたとえば会田誠さんや山口晃さんらを擁するミヅマアートギャラリーや、森村泰昌さんらを取り扱うシュウゴアーツ、レントゲン藝術研究所の後身であるレントゲンヴェルケなどが良く知られる名前でしょうか。
老舗で日本の洋画を支えてきた大画廊、日動画廊からも現代美術を専門に取り扱うnichido contemporary artが独立しましたし、村上隆さんも自身でギャラリーを経営しています。近年は現代美術でも海外での市場開拓や出店にもかなり成功しつつある印象です。
こうした企画画廊が集まって開くアート即売会、「アートフェア」というものがありまして、「アートフェア東京」が5万人ぐらいの来場者を集める国内最大規模のフェアになります。古美術から現代美術までのオールジャンルですけど、出展ギャラリーや推されてるアーティストを見てるといまの企画画廊の雰囲気が掴めると思います。
アートフェア東京 出展ギャラリー
大阪では「アート大阪」というイベントがホテル客室を借りるという形式で開かれてます。まだまだ大阪中心で3千人ぐらいの来場者ですが、現代美術に特化したアートフェアでは国内最大級をうたっているところです。
(大阪では「UNKNOWN ASIA」というアジア各国のクリエイターを集めた国際フェアの規模が大きいです。こちらはグラフィック、デザイン、イラスト寄り。)
アート大阪 出展ギャラリー
ちなみに、「アートフェア東京」「アート大阪」どちらも特別協賛となっている企業、寺田倉庫の中野善壽社長が近年、現代アートの大パトロンとして知られている人物です。いま東京天王洲エリアを一大アートの集積地にする、ってなプロジェクトを進めてるところですね。
TERRADA ART COMPLEX
「ベネッセアートサイト」として瀬戸内海に浮かぶ直島を現代美術の聖地と化し、ここを中核とする国内最大の現代アートイベント、瀬戸内国際芸術祭を開催し、その総合プロデューサーを務めてきたベネッセ(現名誉顧問)の福武總一郎さんともども、近年の現代美術を盛り上げてきたビジネスサイドの立役者たちになります。
ベネッセアートサイト直島
現代美術のパトロンと言えば想起されるのは、こうした大規模な振興型の方達になるでしょうか。
作品を買い支え続けるという伝統的な援助もありますけれど、上述の例のようにアートイベントや社会活動、街づくり等にアーティストを引っぱり出してくる、要はアーティストを行動させる人達、というのが現代美術におけるパトロン(あるいは公共助成)の代表的な立ち位置でしょうか。
現代美術作家も世の人々からすると、アトリエに籠っているより、アート活動や街づくりで行動する人たち、というイメージですかね?
現代美術特有の事情として、いずれ詳述するつもりですが、社会への還元や貢献といった題目からどうやったって離れられないところもあります。
仮想通貨の世界で、ブロックチェーンの将来的な有用性、社会を変革する可能性を言わずして何も始まらない、というのに事情は良く似ているかもしれません。芸術家は何を(パトロンや援助者に)アピールするべきか、という部分でもありますので、一応書いておきます。
とはいえ、何かで注目され声をかけてもらわない限りいきなり企画画廊の、しかも有力なところの取り扱い作家にはなれないわけで、まずは貸画廊といいますが、割と高い賃料を払って画廊スペースを借り(または公共拠点のギャラリーなど)、標準的には一、二週間程度を期間とする個展を開くことから芸術家としての活動を始めていくことになります。(公募展やアート系NPO、AIR=アートインレジデンス等については後述します)
小説や漫画やイラストにおける、自費出版や同人活動、またはネットでの作品公開のようなものを想定すると、それと似たような位置関係です。
ただ、ここで実績となるのはグループ展(企画画廊等によるグループ展は別として)ではなく、個展からです。グループ展で注目されることはありますが、そこから遡って個展実績がないと、取り扱い作家になっていったりするのは難しいかもしれません。または個展から画家を名乗るというのが(古くからの)慣例です。
小説でも漫画でもまとまった小説一本なり漫画一本なりが作歴にないと仕事を依頼するほうとしても難しいわけで、それと同じです。ですので、すぐにでも仕事や契約に結びつけられるという意味で、ネットでの作品公開や投稿などより一般的に画廊個展は位置的に高い場所にはなります。
ところで、小説や漫画やイラストやを発表していくにも、自サイトやブログでやるか、或いはなろうやカクヨム、PixivやDevianArtでやるか、はたまた同人誌を出すか、などいろいろなやり方がありますね。
一概に何が正解かは言えるものではないですが、なろうやPixivのランカーになったりTwitterで大量のファボを稼いだりするのが商業デビューへの道だとみなされていたりしますよね。(ほんとかどうかは知らない)
これと同じく?芸術家志望者にもだいたいここが有力な登竜門だ(企画画廊を兼ねていたりもする)、とみなされてきた場所があったりはします。現代美術なら関西だと、大阪西天満に移ったギャラリー白や京都東山のギャリー16、いまはもうありませんが大阪本町の信濃橋画廊や淀屋橋の番画廊などが著名な登竜門として名を残してきました。
写真の、ちょうど先日までギャラリー白で個展をやってた圓城寺さんは企画展『ペインタリネス』等の常連で、ギャラリー白が推すペインティング系作家のうちの一人ですけど、白がまだ淀屋橋にあった頃から軽トラで作品を持ち込んでました。こんなふうに、企画展作家に進んでいきます。
一般に費用を払って一、二週間なりの期間、画廊スペースを借り、作品を搬入し、画廊と打ち合わせて絵の値段を設定して展示と作品販売をおこないます。画廊は画家の実績を踏まえて値を提示してきます。(絵の値段は1号あたりの値段で決定されます。ついでに、同じ1号でも水彩と油彩など、技法によっても値は違います。現代美術は枠や技法が不定なのでまた別です。)
ちなみに貸画廊でも作品が売れたら手数料という名の委託料(2割から4割)を払う必要があります(ない時もある)。要は画廊としても展示作品は売りたいわけで、値付けで評価が見えてくるところがあります。あるいは、画廊主が直接作品を購入してくれる場合も。
ともかく実績を重ね、何度か個展を開いていくうちに、作品が売れたり、もしくは売れなくても画廊や、通ってくる顧客やレビュアーやによって有望だとみなされるようになると、次の展開が巡ってくるということになります。
半世紀近くに亘り長く関西で重きをなしてきた信濃橋画廊(2010年閉廊)の、画廊主自らによるコレクションは、現在、兵庫県立美術館に収蔵されてます。どんな作家たちがここに集い、活躍したのか、関西の現代美術史の一端を見ることができます。
たびたび、知人の手伝いで在りし日の信濃橋画廊には足を運んだ覚えがありますが、しばし抜け出してこの画廊が入っていたビルの狭い屋上に出て、僕はよく煙草をふかしてました。
いまやったらビルの管理者から大目玉モノですが、ちなみに個展開催初日の夕方に、ささやかでも開催パーティを開く(最近しない場合も多い)のが慣例で、知人友人などはそこにまとめて呼びます。レビュアーや「先生」などを招く「外交」の場とも言われます。
そんなに気にするような話ではないのですが、ジャンルによってはまだまだ役割が重いと聞きますので、一応それも活動の一つとして書いておきます。
と、とりあえずまずは伝統的な道のりについて書いたところで、ここからは話半分に聞いておいてほしい余談になります。
以前の「現代美術は売れない」、要は市場があまりないとみなされていた時代は、貸画廊個展がシーンに強い力を持っていました。
大阪の話になりますが、市民ギャラリーから発展した大阪府立現代美術センター(~2012)がまだ存在していた頃には、このセンターでアートフェア(大阪現代アートフェア、画廊の視点展)は開かれていましたし、大阪トリエンナーレという国際展やアートカレイドスコープといった街頭でのアートイベントも行われていました。
そこに連なる画廊、白や信濃橋画廊などを含む現代美術画廊の会やアート系NPOがアートシーンの現場だ、という感覚があったものです。貸画廊個展から出発して現代美術センターをはじめとする各地の公共拠点や美術館での企画活動やイベントへと進んでいく、という道がモデルとして考えられていました。
ところが、府の財政再建問題によって、長く大阪の現代美術で名実ともに中核をなしてきた現代美術センターは廃止となり、トリエンナーレ等のイベントもなくなってしまいました。紆余曲折しつつ、官民のイベントは続いてはいますけれど。
前後するように著名な貸画廊も大きな代替わりを迎え、信濃橋画廊のオーナー山口さん、番画廊の松原さんは故人となられ、両画廊は相次いで閉廊となりました。ギャラリー白は鳥山さんの跡を継いで吉澤敬子さんが現在、運営されています。
一時期は住友倉庫が大阪港に作った、民間最大を謳う貸しギャラリーCASOが注目を集めたりしましたが、今年、撮影スタジオにリニューアルされてしまうようです。このように状況は変わりました。
一方で美術市場が成熟し、現代美術作品が売れるようになってくると、(当たり前の話かもですが)企画画廊がシーンの前面に出てくるようになった感があります。
実のところ、欧米の主要な国では貸画廊というものは存在しません。公共援助や企業、財団による助成等が充実しているし、また(企画)画廊の力もかなり大きいので、芸術家を志望するにも貸画廊を借りて自主的に活動をする必要がない、とされているからです。このことは芸術家が海外に出ていく大きな理由になっていました。
国内では長く貸画廊と公共拠点が現代美術の現場となってきましたが、先に企画画廊とパトロンのところで述べたように、ようやくギャラリスト(企画画廊主)の顔が見えるようになり、また企業、財団助成やAIR(アートインレジデンス)等の公共的援助が充実してくるようになって、ずいぶんと状況は変わってきました。
「ビジネスにもアートの力を」「アートで街づくり」「アートのある生活」。ひところは「いつまでバブル気分なんだ」と窘められたような掛け声が盛んになされるようになりました。
多くはただの宣伝文句に過ぎないでしょうし、看板倒れに終わってしまったりするのでしょうが、しかし、いまほどアーティスト支援やアートの力といった声が氾濫する時代はない、ということは言えます。
現に、数十万人を展覧会に動員する現役の現代美術作家たちを擁し、各地のアートイベントが活況を呈し、本格的なフェアが成立し始めている現在の状況は、ここ数十年で最も芸術家志望にとって条件が良いように見える、というのが率直な感想です。
但し、大阪の例のように公共援助が途絶変更されたり、またいまの好況がどこまで続くかもわからなかったりもするので、状況は複雑だなあとは思うのですが、とにもかくにも動け、という声を耳にするこの頃です。
勿論、いまでも主要な貸画廊や公共拠点はシーンの重要な部分の一つですし、また地方によっても違います。その上で、ですが、企画画廊の取り扱い作家になるにはただ名をあげて声をかけられるのを待っているのではなく、自分で申し出るのも結構有効ですので、次に話を進める前に、とりあえずそれは書いておきます。
「取り扱いになっていくには、どうしたらいいのでしょう?」ぐらいのアドバイス請いの質問をあちこちでしておくと良いかもしれません。
というのも、画廊の取り扱いといっても委託販売の形式であることが多いからです。とりあえず売りに出して、売れた分だけ報酬、なので敷居はそんなに高くないことが割とあります。勿論そうでない場合、制作支援や買取式など好条件を得ることもあります。(企画画廊との契約条件についてはいずれ後述します)
実績を積んでいるなら、企画画廊にポートフォリオ(作品ファイル)を持ち込むのも昔から勧められている手です。漫画や小説の編集部への持ち込みに似て、画廊からアドバイスをもらえる機会にもなるかもしれません。ただ、ポートフォリオは山のように画廊に届くので、という話も聞きますけれど。
とりあえず長くなりましたので、ここでいったん分割します。
まだ概況ばかりで具体的な方法といってもとっかかりしか書いていません。次回以降、「批評」「公募展」「アートイベント」「AIR」「画廊との契約条件」「オルナタティブ」「デパート展」などなどについて述べていこうと思います。
上のクールベの絵のように、いまの芸術家を取り巻く寓意的な状況について、具体的なモデルをもとにできるだけ解説できたらな、と思います。
参考になることがあればいいな。
(その2)に続く予定です。