「ちゃんと」って、なんなんでしょうね。
最近、この言葉についてよく考えます。
ちゃんとする。
ちゃんとやる。
ちゃんと生きる。
ちゃんと働く。
ちゃんと返事をする。
ちゃんと説明する。
ちゃんと笑う。
ちゃんと元気でいる。
こうして並べてみると、なんだか「ちゃんと」って、すごく便利な言葉です。
でも同時に、ちょっと怖い言葉でもあるなと思います。
誰かに強く言われたわけじゃなくても、心の中で勝手に鳴り始めることがあります。
「もっとちゃんとしなきゃ」
「これくらい、ちゃんとできなきゃ」
「ちゃんとしてない私は、だめなんじゃないか」
そんなふうに、自分で自分を追い立ててしまうことがあります。
でも、ここで一度立ち止まって考えたいんです。
その「ちゃんと」って、誰が決めたものなんでしょうか。
世の中が決めたもの。
家族が決めたもの。
学校や職場で教わったもの。
誰かの言葉が、いつの間にか自分の中に残ったもの。
それとも、自分が自分を守るために作ってきたもの。
たぶん、ひとつではないんだと思います。
「ちゃんとしなさい」と言われてきた記憶がある人もいるかもしれません。
言われたことはなくても、空気で覚えてしまった人もいるかもしれません。
迷惑をかけないように。
怒られないように。
嫌われないように。
置いていかれないように。
そうやって、少しずつ「ちゃんと」の形ができていく。
最初は、自分を守るためだったのかもしれません。
ちゃんとしていれば、責められにくい。
ちゃんとしていれば、安心してもらえる。
ちゃんとしていれば、ここにいていいと思える。
だから「ちゃんと」は、悪者ではないんですよね。
ちゃんとしたい気持ちの中には、まじめさもある。
やさしさもある。
誰かを困らせたくない気持ちもある。
自分の生活を壊したくない気持ちもある。
だから私は、「ちゃんとなんて気にしなくていいよ」と簡単には言えません。
気にしなくていいと言われても、気になるものは気になります。
頭ではわかっていても、体が緊張してしまうこともあります。
「もう少しゆるくていいよ」と言われても、そのゆるめ方がわからないこともあります。
私もそうです。
ちゃんとしたい。
でも、ちゃんとしようとすると苦しくなる。
ちゃんとできない自分を責める。
でも、ちゃんとしなくていいと言われても、それはそれで不安になる。
このあたりって、すごくややこしいです。
たぶん問題は、「ちゃんと」そのものではなくて、「ちゃんと」の中身がはっきりしないまま、自分を責める道具になってしまうことなのかなと思います。
たとえば、「ちゃんと生活する」って、具体的には何でしょう。
毎日早起きすること。
部屋をきれいに保つこと。
予定通りに動くこと。
落ち込まないこと。
人に迷惑をかけないこと。
いつも明るくいること。
そう考えると、急にハードルが高くなります。
でも、別の見方をするとどうでしょう。
今日、起きられた。
ごはんを食べた。
水分をとった。
必要な場所に行けた。
誰かに返事をした。
しんどい中でも、なんとか一日を進めた。
これも、ちゃんと生きていることに入れていいんじゃないかと思うんです。
もちろん、完璧ではないかもしれません。
予定通りではなかったかもしれません。
途中で崩れたかもしれません。
誰かに助けてもらったかもしれません。
でも、それでも一日を投げ出さずにいたなら、そこにはちゃんと「生きた時間」があります。
なのに私たちは、できなかったことばかりを見てしまいます。
できたことは、なぜか数に入れない。
当たり前にしてしまう。
できなかったことだけを証拠みたいに並べて、「ほら、やっぱり私はだめだ」と思ってしまう。
でも本当は、できたことも証拠なんですよね。
今日ここまで来たこと。
不安でも動いたこと。
しんどくてもやめなかったこと。
休む選択をしたこと。
誰かに頼ったこと。
自分を守るために距離を取ったこと。
そういうものも、ちゃんと数えていいはずです。
「ちゃんと」って、もしかすると、ひとつの正解に向かって自分を合わせることではないのかもしれません。
誰かの基準にぴったりはまることでもない。
何も失敗しないことでもない。
いつも元気でいることでもない。
その日の自分にできる形で、生活を続けること。
できなかった日を、全部だめにしないこと。
助けが必要な時に、必要だと言えること。
無理をしすぎる前に、少し立ち止まること。
そういうものも、「ちゃんと」の中に入れていいんじゃないか。
まだ、はっきりした答えは出ていません。
というより、出さなくてもいいのかもしれません。
「ちゃんと」について考えることは、自分にとって何が重くて、何が大事で、何を少しゆるめたいのかを見つけていくことなのかもしれません。
私は、ちゃんとしたい気持ちをなくしたいわけではありません。
ちゃんとしたい私も、きっと私です。
まじめに考える私も、誰かを困らせたくない私も、生活を少しでも良くしたい私も、全部私です。
ただ、その「ちゃんと」が私を苦しめすぎるなら、少しだけ形を変えてみたい。
誰かに見せるための「ちゃんと」だけではなくて、私が今日を越えるための「ちゃんと」にしていきたい。
完璧にできたかどうかだけではなくて、今日の私なりに進めたかどうか。
強くいられたかどうかだけではなくて、弱いままでもここにいられたかどうか。
誰にも迷惑をかけなかったかどうかだけではなくて、助けてもらいながらでも暮らしを続けられたかどうか。
そうやって考えていくと、「ちゃんと」は少しだけやさしい言葉になる気がします。
まだ、うまく言い切れません。
でも、言い切れないまま考えていることにも、意味があると思っています。
「ちゃんとしなきゃ」と思うたびに、自分に聞いてみたいです。
今の私は、何をそんなに守ろうとしているんだろう。
誰の基準で、自分を測ろうとしているんだろう。
本当に必要な「ちゃんと」は、どれなんだろう。
もう手放してもいい「ちゃんと」は、どこにあるんだろう。
すぐに答えは出なくてもいい。
考えながら、少しずつでいい。
今日の私に合う「ちゃんと」を、今日の私の手で選び直していけたらいいなと思います。
「ちゃんと」は、私を責める言葉にもなる。
でも、私を支える言葉にもなる。
その分かれ道に、これからも何度も立つのだと思います。
だからこそ、急いで結論を出さずに、もう少しこの言葉と一緒に歩いてみたいです。
私にとっての「ちゃんと」。
あなたにとっての「ちゃんと」。
それは、同じようで、きっと少しずつ違うものです。
そして、その違いを比べて落ち込むよりも、自分の暮らしに合う形を探していけたら、それだけで少し息がしやすくなるのかもしれません。
今日はまだ、その途中です。
でも、途中のまま書いてみることにも、今の私なりの「ちゃんと」がある気がしています。











