みなさん、こんにちはかわたいです。
久しぶりの投稿になってしまいました。笑
今回は、日本社会のキーワードになりつつある「多様性」
について考えていきたい思っています。
日本ならず世界の社会において人間の考え方や言動や行動その人の身体的特徴まで多種多様であります。その多様な人の在り方を否定しないこと、認めあうことを大切にするのが多様性の考え方です。
この考え方はとても大切だと思います。
色々な人がいることを分かっていれば争いを避けることができるからです。
例えば、会社の経営方針で経営者と自分の意見がぶつかったとします。その時に、お互いの方針を認めあい、代案を出し合えばどこかで2人の意見が繋がり、分かちあえることができる。その結果、さらにいい意見がでるかもしれません。
この結論の源泉は多様性の分かち合いにあります。
しかし、この多様性という考え方は汎用性があり様々なことに使われすぎているような気がします。
例えば、某テレビ局のする1日放送テレビ。
あのテレビはまさに多様性を上手く使ったビジネスの1つであります。
「世の中にはこういう人たちがいて、苦しんでいます。」や「こんなにも頑張っている人たちがいます。」と言い、最後に
「だから、この人たちのために募金に協力しましょう。」や
「この人たちのためにこの番組を見ましょう」
と主張します。
一見、やっていることは正しいように思います。
たしかに、苦しんでいる人たちやまずしい子供たちや頑張っている人たちのために募金をしたり、資金提供をしたり、実際に現場に向かい現状を知りその人達の手助けをすることはとても大事です。
その人たちの手助けをすることが世界の中で小さな平和に繋がったり、それによって救われる方も大勢います。
ただ、それをデジタル放送を通じてたくさんの人に呼びかけることに違和感を感じます。
なぜかというと、募金や資金提供は強要されるものではないからです。
世界の困っている人々は助ける方法はひとつではありません。そして、必ずしも困っていない人たちが困っている人を助けなければいけないという決まりもありません。
困っていないように見える人たちでも自分のことで精一杯の人たちや悩みを抱えている人、もっと成長するために日々過ごしている人などもたくさんいます。
もちろん、募金をするかしないかや力を貸すことをするかしないかの選択権は自分自身にあります。
しかし、その選択権を誘導するようなことをして、困っている人たちは真の意味で助けられているのでしょうか?
支援を得られるだけで、本当に困っている人たちの現状を理解してくれている人たちがどれくらい増えるのでしょうか?
本当に困っている人たちは自分たちの現状を理解して欲しいと望んでいます。
その人たちを表舞台に出し、報道の範囲の事実を晒すだけでは真の理解には達しないと思います。
これを、「多様性の押しつけビジネス」と呼んでいます。
特に、テレビを含むマスメディアは印象づけがとても上手です。
その印象づけから逃げるには見る私たちのメディアリテラシーを高めることしかありません。
私も含め多くの人のメディアリテラシーが上がり、「多様性の押しつけビジネス」が無くなることを願っています。