引き続き東京都墨田区東向島の江戸時代に文人墨客のサロンとして使われた花園「向島百花園」を散策致します(前回の記事はこちら)。
ここからもスカイツリーがよく見えます。
「空高く ツリー伸びるも 区民来ず」。 by たみと。
もと墨田区民であった私があえて詠ませて頂きました。
「しのぶ塚」。
隅田川よ二面(ふたおもて)よと歌舞伎にも浄瑠璃にもてはやさるる荵売(しのぶうり)は、安永四とせ中村座の春狂言に初代中村仲蔵が勤め、前の河竹新七の作なり。そが正本をある人より贈られて久しゅう秘蔵せしは、名を嗣ぐ者の幸せと悦びしが、この度ここに埋みて、昔忍ぶの墳(はか)と名づけその故よし記しつくるは、隅田川の流れ絶えず伝えて、二面の二つなき功績を、後の世に遺さんとてのわざなんありける。
二代目・河竹新七が、初代・河竹新七の作った歌舞伎狂言「荵売」の正本をここに埋めて、その功績を遺すために建てたものだそうです。
これ春夏秋冬時期に俳句を変えてるんでしょうね。
また季節が変わったら見に来たい。
こちらも二代目・河竹新七(古河黙阿弥)の顕彰の碑「きょうげん塚」です。
「段ずれば 年の深まり ひとしおと」 by たみと
ここには、明治時代に上野の博覧会で使用した二階建ての建物があり、桑の木で作られていたことから「桑の茶屋」と呼ばれていました。しかしながら、昭和20年(1945年)3月の東京大空襲で百花園が壊滅的な打撃を受けたときに桑の茶屋は取り壊されたといいます。
ツリーも景色に溶け込んでいますね。
「飯島光峨翁之碑銘」。
「ほととぎす いま一声のきかまほし 月はさゆれど姿は見えず エエぢれったい 何としよう しんきくさいじゃないかいな」
古くからの小唄節が野卑に流れているのを改めて一流を興し、盛んに行われるようになったそうです。
「鶴久子歌碑」
「空蝉の世の うきことはきこえこぬ いはほの中も秋風ふく」。本所で下町の子女に和歌を教えていたとされています。
「二神石碑」
「く々のちの神 かやのひめの神」。この二柱の神は、古事記にあるイザナギ・イザナミの両神から生まれた神で、「古事記」では「くくのちの神は木の神、鹿野のひめの神は野の神とされます。
「最中堂秋耳句碑」
「限なき そらの要や 望の月」。結構色々な句碑があります。
竹と人の心の直ぐなのは少ない。
竹はまっすぐなものは少ないといいます。人の心はどうでしょうかね。
「螺舎秀民句碑」
「葦の芽や 田へ来水も 角田川」。隅田川は住田川、角田川、墨田川とも書きます。
「七十二峰庵十湖句碑」
「何事も かかる浮世か 月の雲」。かかるが2つの意味に読み取れます。
この句も面白い!
「白無垢を いつ召しますや かぐや姫」。これいったら怒られそうですね
「雪中庵梅年句碑」
「黄昏や 又ひとり行く 雪の人」
思いに更けるのにはもってこいの場所かもしれません。
「バスを待つ 人みな仰ぐ 今日の月」
「月明かり 仰けぞり眺む 百花園」
街ログチャンネルに向島百花園が紹介されていました。
如何でしょうか。東京都墨田区東向島三丁目の江戸時代に発祥をもつ花園「向島百花園」。皆さまも江戸っ子も愛した下町の花園で四季折々の眺めを楽しんでみては如何でしょうか。
written by たみと(たー)