人が目の前で亡くなる姿を見て、平静でいられる人は少ないだろう。学生だった母は代償に仕事を選択したのか?
生き抜いた事に対する怒りがあっただろう。
一日で、多くの長崎市民が死ぬ姿に何を思ったんだろう。
父との結婚を前に、一切口を噤んだ。
理不尽な死をどう思っていたのか、話をしたことは無い。
母が生きた年齢を私は既に生き抜いた、子供達も育った。
今、少しだけ時間に余裕が出来てきたので、生きられなかった母の代わりに、自分の思いを書いてみることにした。
昭和3年に生まれ
昭和50年に死ぬまでの時間を再体験することに意味が無いとしても、人はなぜ生きているのか?母に聞いてみたかった、話たかった言葉をここに書いておこうとおもった。
続く