抽象化して考えると共通項が見つかって、程度の差はあるけれど他でのやり方を応用できることがあります。
その一例として、ゲームも金融も賭博も同じ感じだからそれぞれの分野の応用が利くという話をします。
ゲームも金融も賭博も、利用者に、実利・運の要素・娯楽性があります。
それぞれのバランスが違うので名前が異なっているのかな?と思うんです。
ゲームについて。実利は暇つぶしやコミュニケーションの道具。娯楽性が最重要なので、運の要素は娯楽性を高めるためにありました。しかし、ゲームに課金が導入されてからは賭博の要素が組み込まれました。ガチャで確率の操作があったのは記憶にある方は多いのではないでしょうか?
賭博について。実利はお金が儲かるかもしれない事と自己充足感、場合によってはコミュニケーションの道具。運の要素はルール次第ですがあるでしょう。胴元が損をしない設計がなされています。娯楽性は必要だけれど、ゲームには多分劣るように思います。
金融について。実利はお金が儲かる事、ビジネスとして成り立つ事です。人によっては自己実現・自己表現の手段にもなり得ます。運の要素は人為的なものもそうでないものもあります。娯楽性は他二者には劣るものの、プレイヤー個別の感情次第では高くなります。少なくともエンターテインメント性を求めて行うものではないので設計に当たりそれを考慮する必要はなさそうです。
まとめるとこんな感じです。
無作為性が運の要素です。三次元で表したかったのですが、イマイチ。とりあえず実利性と娯楽性の位置関係は上図でお判りいただけるかと思います。
ここでは
無作為性は「金融>>>賭博>ゲーム」
実利性は「金融>賭博>>>>ゲーム」
娯楽性は「ゲーム>賭博>>>>金融」
とご理解ください。
さて
分離と統合は1セットで考えないといけないと考えます。
それぞれ同じようなものだけれど違うし、違うものだけれど同じようなものだからです。
なので、それぞれの違いも書いておきます。
ゲーム・金融・賭博、この三者では金融が異質です。
実利性が高く設計上の娯楽性が低いからです。
さらには、無作為性において、外部環境からの致命的なダメージがあることが特徴でしょうか?賭博やゲームの無作為性は設計上のものです。
では、ゲームと賭博の違いは何でしょう?
上記で整理した通り、ゲームの実利性が極端に低い点があげられます。
お金が動くか動かないかによって法律や規制が影響します。実際のお金が娯楽性の強弱の違いはありますが、設計するときに利用者が楽しいと感じるようにしなければいけない点では同じでしょう。
次にこれら二つを金融と比べてみます。娯楽性が設計されているかどうかという点、無作為性に外部環境の影響があるという点はすでに指摘済みです。
金融とゲームでは、重複しますがお金が動くかどうかという点で実利性の違いを際立たせることができます。
金融と賭博では、実利性の面での違いがあげられます。
カジノでお金を使ってもそれは消費であって、誰かが助かるわけではないのです。(胴元は助かるというか、儲かるでしょうが)
一方で金融はお金の貸し借りなどで助かる人が出てきます。金融は実業において必要性から生まれた制度だからです。そしてお互いに利があるビジネスとして成立しているからこそ、今も生き続いているからです。
共通点が見つかりましたし、その濃淡を確認しました。
違いも整理しました。
それぞれを同じようなものだとすると、違いから明らかとなる不足部分を充実させることはその分野の発展に寄与する可能性を示唆します。
例えば
・金融は娯楽性が少ないので、そこに設計上娯楽性を組み込めばプレイヤーが増え、出来高が増え、さらに発展するでしょう
・ゲームにおいて実利性が少ないのであればDAPPSゲームのように投資という概念を持ち込むことで、楽しい投資を実現できるかもしれません
・賭博において、公共性を高められれば、フェアトレードのコーヒー豆が売れるような、そんな差別化を図れるかもしれません。
となると当然
・金融商品の設計は、ユーザーインターフェースのUI/UXの設計が大事な、もうひと手間かかるものになる
・ゲームに規制がかかるようになる
・賭博のUXが変質する
事が予想されます。
「賭博のUXが変質する」というのは説明が必要だと思います。
遊戯としての賭博、例えばパチンコであれば負けても「まぁ仕方ないや」で済みますが、それで生活しているとなると、いろいろと起こりうることは想像できます。逆恨みしてパチンコ店を××××、、、とかです。
もっと穏やかなたとえ話をします。麻雀のルールが(想像できませんが)なにやら社会に貢献するようなすごく立派な行為になったとすると、今までのようなイメージとは違いますよね、と。そういう話です。
こう考えていくと、何らかの技術革新でできることが増えると、新しいものが増え、既存のものが廃れるだけではなさそうです。既存の概念が統合され、さらなる進化発展を遂げるという方向もあるのではないでしょうか?
金融に、賭博やゲームのようなコミュニケーションを加えると、また何か面白い気はします。
誰かとコミュニケーションの一環として金融商品に投資する。投資することが一つのコミュニケーションであるとか。
もっと言えば、その投資をしていないとコミュニティでの話題についていけなかったりとか。
・・・?
今でも実現してますか。
投資している人同士、情報交換をしたりしますし。そういう人同士で自然と集まりますから。
企業同士で手形の融通とか、今もやってるんですかね?
これもコミュニケーションとしての金融としていいかなぁ?無理がありますか。
ソーシャルレンディングが今実現されています。介在者が入ってはいますが、P2Pレンディングに近い話ではあるかと思います。
本格的にP2Pレンディングが動き始めれば、マーケティング・営業・広告の世界に入っていくと思われます。
そうすると金融にコミュニケーションの要素が別次元で出てくると思います。
OwnersBookさんはSNSもあるようですので、何か考えているのかもしれません。
コミュニケーションに関して、さらには無作為性のコントロールに関して、もう少し、革新的な何かが出てくるとは思うのですが、能力不足です。
ではでは。
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