今の子供たちは学校でどんな歌を歌っている(あるいは、歌わされている)のか知りませんが、私たちの頃はどうしてあんなに難しい歌詞を歌わされたんだろうと、時々思い出して不思議になります。
例えば、
♪松原遠く消ゆるところ
(『海』、作詞者不詳)
なんて歌詞。今でこそ迷いもせず「消ゆる」と書いていますが、小学生にはこのキユルが何の意味だか分かりませんでした。
また、仮に「消ゆる」が「消える」の古語だと知っても、松原が遠くで消えるとはどういう情景なのか、それを解るのは大人の経験と感性によるのではないでしょうか。さらにそこに
♪白帆の影は浮かぶ
などと言われるともうお手上げです。
だから当時の小学生たちは、これを両親の夫婦喧嘩をプロレスになぞらえた替え歌にして、「マツバラ父ちゃん、キーユール母ちゃん」と歌ったのでしょう。悲しいかな「消ゆる」は母ちゃんのリング・ネームになってしまいました。
(ちなみに、この替え歌は関西だけのものかと思ったら、東京出身の妻もちゃんと知っていたのでびっくりしました)
昔に書かれたものが文語なのは仕方がない、と言われるかもしれませんが、明治の人も文語を日常語として暮らしていたのではありません。なのに子供にことさらそういう言葉で歌わせるのは何を狙ってのことだったのでしょうか?
多分、詩(と言うより、もっと難しく「韻文」と言ったほうが良いのかもしれませんが)というものは文語で書くものだという意識が残っていたということなのでしょう。
でも、そういう大人の意識を子供に押しつけるのもどうかなと思います。意味の分からない外国語の歌を歌っているようなものなのですから。
♪甍の波と雲の波
(『鯉のぼり』、作詞者不詳)
なんて、子供のための鯉のぼりの歌なのに、凡そ子供には意味が分かりません。
今になって改めて鑑賞してみると、冒頭から随分と情趣溢れる表現だとは思いますが、「いらか」が瓦葺の屋根のことだと分かったのはそれから何年も後、井上靖の『天平の甍』という書名を知った時でした(読んでいませんが)。
歌の場合は、文字で読むのと違い、メロディとリズムに引っ張られることで、書き言葉よりも厄介になることがあります。この「甍の波」も耳には ♪イーラーカーのなぁみぃにぃ、と入ってくるわけで、余計に意味が取りにくいのです。
私は ♪イーラーカー を聴くたびに、昔キラー・カーンというプロレスラーがいたことを思い出してしまいます。
♪菜の花畑に入り日薄れ
(『朧月夜』、高野辰之作詞)
でも同じです。こうやって漢字で書くと小学生にも意味は取れるのでしょうが、それがメロディに載って、♪なのはーなばたけぇに、いーりーひうすれー と耳に入ってくると、もう何だか分かりません。
イーリッヒ・ウースレーってドイツの地名か何か?というほどの違和感があります。
そして、それに続く
♪見渡す山の端霞高し
というのがこれまた難しいのです。「山の端」なんて言葉は高校の古文の教科書で読んだ清少納言の『枕草子』の「春はあけぼの」の段で初めて知りました。
こういう話をする時に、昔から必ず引き合いに出される歌に『故郷』があります(これも高野辰之作詞です)。
♪うさぎ追いしかの山 を「うさぎを食べたら美味しかった」という意味に取ってしまうのも小学生なら致し方ありません。そもそも私たちの時代にして既にうさぎを追った経験のある人なんてほとんどいなかったわけですし。
それに「かの」がまた難しいのです。「彼女」という言葉さえまだ使ったことがない少年に「かの山」を解れと言っても所詮無理です。「蚊がいっぱい飛んでる山」だと思うのも責められません。
子供には本来、子供の感性で捉えられる言葉を歌わせるべきではないかと思うのです。
ところで、上に挙げたような歌は、ひっくるめて「唱歌」と言われます。
唱歌って何でしょう? 唱うための歌? これはウォーキング・シューズと同じくらい変な表現で、世の中には唱わないための歌も歩かないための靴もないのです。
なんかジャンルのネーミングからして無理があったのだなあという気がしてなりません。
こういうの、多分今はもう歌ってないですよね? もしも小学校の音楽の教科書にいまだにこれらの曲が載っているのであれば、もうそろそろ他の作品に差し替えても良いのではないでしょうか?
念のために書きますが、上記の「ないでしょうか?」は別に「唱歌」と掛けたわけではないですよ(笑)
ただ、例えばそんな風にシャレを入れ込んだ歌なんかを歌うほうが、小学生にとっては音楽の授業が身近で楽しめるものになるのではないでしょうか?