本棚の隅から古いクリアファイルが出てきました。開けてみると、新聞の切り抜きでした。当時読んでいた新聞の言葉に関するコラムをずっとスクラップしてあります。番号が飛んでいるので毎号綴じていたわけではなさそうですが。
いつの時代のものかはっきりとは判りません。でも、中に村山首相という表現が出てきたので、多分1995年前後のものでしょう(村山富市氏の首相在任期間は1994/6~1996/1)。
当時から私は言葉というものに興味があったみたいです。と言うか、前世紀の末からこういう記事などを材料にいろいろと考えて始め、それを21世紀の初めになって自分のホームページを持ち、そこにいろいろ書き始めたのでしょう(今はその HP ももう閉じてしまいましたが)。
スクラップはたくさんあったのですが、とりわけ面白かったのは「若者語」のコラムです。このテーマで書いていたのは梅花女子大の米川明彦助教授です。連載番号は1~30で、そのうちの半数ぐらいの記事を私はスクラップしていました。
四半世紀後にそれを読み返して思うことは、誰でも予想がつくと思いますが、当時突然出てきた若者特有の表現が、今は影も形もなかったりするということです。
中に少しだけ、今でもしっかり残っている表現もあります。この違いはどこなのでしょう? それは俄に言い当てらません。
とりあえず、この連載コラムで取り上げられた若者語を、いくつか抜き出してみたいと思います。
1)鬼(=ものすごく。「鬼のように」の短縮)
2)アバウト(=いい加減)
3)自己中(=自己中心)
4)ブッキー(=不器用)
5)死ぬ(=「明日テストされたら死ぬ」等々、嫌なことを何でも「死ぬ」と表現する)
6)地雷を踏む(=相手が気にしていることや痛いところをつく)
7)キヨブタする(=「清水の舞台から飛び降りる」)
8)アッシー君(=女性のために自分の車を出してせっせと送り迎えしているが、本命にはなれない男)
9)ミツグ君(=女性に貢いでばかりで、適当にあしらわれている男)
10)チョベリグ(=超ベリーグッド)
11)チョベリバ(=超ベリーバッド)
12)チョバチョブ(=超バッドで超ブルー)
13)マッハ(=とても。とても急ぐ)
14)超ムカ(=非常にムカつく)
15)激プリ(=非常にプリティ)
16)耳(=電話の側に親などがいて耳をそばだてているので、話しにくい状況。「ごめん、今耳なんで、また後で」等々)
17)パセリ君(=料理に添えられていてもいつも残されてしまうパセリのように、いつも取り残されて結婚できないでいる男)
18)キープ君(=本命が現れるまでとりあえずキープしておく男)
19)アトム君(=結婚しようにも年を取っていて後がない男。「後無」のもじり)
20)バアヤ君(=女性に仕える優しい男)
21)ポーチ君(=デートの時に女性のポーチやカバンを持ってあげる男)
22)ケンタ君(=ケンタッキー・フライド・チキンのカーネル・サンダースみたいにお腹の出た男)
23)うりふたご(=うりふたつ)
24)西海岸(=トイレ。西海岸→ウェストコースト→WC)
25)コムロする、タケダする(=徹夜する。小室哲哉・武田鉄矢から)
26)マキハラ状態(=しゃれにならない。槇原敬之の『SPY』の歌詞から)
27)ルート3男(=ケチな男。ルート3=1.7320508→「ヒトナミニオゴレヤ」から)
28)メシる(=食事をする。女性も使う表現)
29)マクドる(=マクドナルドに行く)
30)デニる(=デニーズに行く)
31)ハゲる(=ハーゲンダッツに行く)
32)ローソる(=ローソンに行く)
33)チョーMM(=超マジムカつく)
34)チョーBM(=超馬鹿丸出し)
35)チョーYM(=超やる気満々)
36)チョーSM(=超スーパーマッハ)
どうです? 「そう言えば、そんなこと言ってた!」って言う人もいるでしょうね。
でも、今もしっかり残っているのって、一体どれでしょう? 1~3ぐらい? アバウトってそんな新しい表現だったのかとびっくりしました。
「地雷を踏む」は今でもよく使っていますが、「痛いところをついた」というニュアンスではなく、「触れてはいけないところに触れてしまって、逆に自分が痛い目に遭ってしまった」という文脈で使います。言葉は意味合いが変わって行ったりしますね。
「○○君」のパタンは8や9、17~22 以外にもたくさんありましたよね。メッシー君ぐらいしか思い出しませんが(笑) 今は誰も言わなくなりました。
そう言えば1995年は阪神淡路大震災のあった年です。私は兵庫県西宮市の震度7地域で被災しました。電話が全く通じなくなって、当時まだ持っている人が少なかった携帯電話なら通じると言われていて、一度も会ったことも話したこともない義妹のアッシー君が携帯(彼は所有者でした)で電話してきたのをよく憶えています。
同じように時代だなあと思うのは、16 の「耳」。これなんか固定電話しかなかった頃ならではの状況を表していますよね。
あと、10~12 みたいな「チョベリ○○」、33~36 のような「チョー○○」パタンもたくさんありましたよね。
あとは聞き覚えはあっても今ではほとんど耳にしなくなっているものばかりです。あの頃の二十歳も今では四十代半ば。さすがに彼らも今ではそんな単語は口にしていないでしょう(笑)
こういう言葉の栄枯盛衰って、どうして起こるんでしょうね?
必ずしも巧い表現が残るというわけでもないように思います。「ルート3男」なんて洒落た表現なので、ちょっと残念な気もします。
私としては、むしろ「男」を取って「ルート3」、転じて「ルートさん」にして、「あいつルートさんだから」などと言ったほうがヒネリが効いているし、ぱっと聞いて容易に想像がつかないところが符丁っぽくって粋なような気がします。
そんな風に遊び始めるとキリがありません。キリがないから新語がどんどん生まれるのでしょう。
近年では年末恒例の「流行語大賞」が発表されるたびに、「それどういう意味? そんなの聞いたことないぞ」みたいな表現ばかりで、オロオロしてしまいます。まあ、でも、それが新語・流行語なんですよね。
さて、現在の若者言葉は四半世紀後も残っているのでしょうか。あるいは完全に消え去っているのでしょうか?