私の祖母はパ行の音が発音できませんでした。デパートはデバート、アパートはアバート、大好きだったプロレスのことはクロレスと言ってました。
何故なんだろうと考えたのですが、それはきっと日本語には p の音がないからだろうというのが私の結論です。
「いや、日本語にも p の音はあるよ」と言われるでしょうね、きっと。
確かに、「乾杯」「梱包」「漢方」「合併」「突風」「出品」など、日本語の中にも p の音を含むものはたくさんあります。ただし、上に挙げた6つの例の、後の方の漢字を読んで見てください。「はい」「ほう」「ほう」「へい」「ふう」「ひん」と、いずれも本来は h の音なのです。
これらに共通する特徴は、直前に撥音または促音があることです。即ち、直前に「ん」または「っ」が来ると、h は p に変わるのです。
そう言えば祖母はフィリピンのことをフイリッピンと発音していました。「フィ」が発音できないから、まずそこが「フ・イ」と「分割払い」になり(ファンレターもフアンレターと言ってました)、「ピン」を発音するために無理やり促音を挿入したのではないかと思います。
もちろん、日本語において p の音は全て撥音や促音の後に現れるわけではありません。例えば「パラパラ」とか「ポンポン」とか「ピカピカ」とかいう擬声語・擬態語の類などはそうです(でも擬声語・擬態語以外には、パ行で始まる日本語を探すのは難しいみたいです)。
では、私の祖母はこれらの単語をきちんと発音できていたでしょうか?
彼女は、足がしびれた時には「ピリピリ」ではなく、確か「ビリビリする」と言っていたような気がします。プロレスもクロレスになるくらいだから、例え語頭にあっても、あまりちゃんと言えなかったのではないかと、今考えたらそんな気がします。
ひょっとしたら、上に挙げたような、p で始まる擬声語・擬態語は、祖母が若かった大正時代にはまだあまり一般的ではなかったのかもしれません。
発音できない音を置き換えてしまうのは、日本人が昔からやってきたことです。祖母のフィリピンの例での f や v の音、ティやトゥ、ディ やドゥ、それにもちろん th の音などは、元来日本語にはなかったものなので、適当に書き換えられることになったのではないでしょうか?
それで、あらためてそういう日本語表記の例を収集してみました。
ここには「それ、いつの時代よ? 今はそんな発音や表記は誰もしないよ」というものも含まれていますが、一方で「普段からそう書いてるけど、そうか、本来はその音だったのか」というのもあって面白いのではないでしょうか。
【 f音 → ハ行】
cellophane → セロハン
traffic → トラヒック(ネットワーク用語)
fan → フアン
platform → プラットホーム
telephone → テレホン
smartphone → スマホ
【 v音 → バ行】
violin → バイオリン
volleyball → バレーボール
convinience store → コンビニ
television → テレビ
veteran → ベテラン
vocal → ボーカル
【 t音 → ツ】
to, two → ツー
tour → ツアー
twitter → ツイッター
twin → ツイン
tree → ツリー
【 d音 → ズ】
drawers → ズロース
doek(オランダ語) → ズック
【 ti音 → チ】
automatic, romantic → オートマチック、ロマンチック など
steel → スチール
ticket → チケット
team → チーム
Haïti → ハイチ(共和国)
Rin Tin Tin → (名犬)リンチンチン
【 di音 → ジ】
armadillo → アルマジロ
credit → クレジット
deasel → ジーゼル
dilemma → ジレンマ
radiator → ラジエーター
radio → ラジオ
Edison → エジソン(発明王)
Gandhi → ガンジー(首相)
Heidi → (アルプスの少女)ハイジ
St.Louis Cardinals → セントルイス・カージナルス(野球チーム)
Modigliani → モジリアーニ(画家)
Cambodia → カンボジア(王国)
Côte d'Ivoire → コートジボワール(共和国)
Saudi Arabia → サウジアラビア(王国)
Maldives → モルジブ(共和国)
Madison → マジソン(郡とかスクエアとか)
【 di音 → デ】
on demand → オンデマンド
cardigan → カーデガン
candy → キャンデー
digital → デジタル
Disneyland → デズニーランド
department store → デパート
【ʃe音 → セ】
shepherd → セパード(犬種)
milkshake → ミルクセーキ
【 dʒe音 → ゼ】
general → ゼネラル
gelatin → ゼラチン
jelly → ゼリー
gentleman → ゼントルマン
magenta → マゼンタ(色の名前、赤色)
でも、上のように日本語でなんとか書き表せて、例えばロマンチックがロマンティックになったように、その後より近い音に表記が改められてきた単語はまだ良いのですが、いまだに th 音は日本語では書き表しようがなくてサ行かザ行が当てはめられています。
【th(θ)音 →サ行】
thousand → サウザンド
Thank you! → サンキュー
through → スルー
therapist → セラピスト
Darth Vader → ダースベイダー(スターウォーズ)
Thanos → サノス(マーベル・コミックス)
north → ノース
【th(ð)音 →ザ行】
the → ザ、ジ(あとの単語が母音で始まる場合)
southern → サザン
feather → フェザー
mother → マザー
そのうちに何か新しい表記法が考え出されて、「ふーん、昔の日本人はこんな風に書いていたんだ」なんて言われる日が来るのかもしれません。