中立と専守防衛という安全保障戦略がある。豊穣な大地と四季折々の気候を持つ世界随一の農業国、ソロリノ王国もそのような戦略を取る国家の一つであった。大陸から少し南側に突き出た半島の最南端に位置するこの国は、歴史的に他国による武力行使の危険に苛まれてきた。特に北に国境を接するガバーン帝国は、歴代皇帝が豊かな土地を求めてソロリノを侵略した。広大な砂漠地帯を有し、古くは遊牧民国家であったガバーン帝国にとって、緑の楽園ソロリノの併合は悲願であった。
ソロリノの最北端に位置するロリエは、この国の首都であり、国の防衛拠点であった。いや、正確には、あるべき国境はもっと北なのである。度重なる侵略により国境が武力によって変更されたが、ロリエ陥落までは一度も至らずに、今に至る。
歴史上、侵略の口実は、決まって「ソロリノの国力増大による脅威からの防衛」だった。確かにソロリノは貿易で豊かに潤っていたし、過去には国境を取り戻そうと侵略武装したこともあった。しかし、守っても攻めても、戦争はいかなる生産的価値を生むことはなく、犠牲と憎しみが募るだけであった。
血塗られた歴史を断つべく、中立と専守防衛を宣言したのは80年ほど前だった。王国でありながら民主主義を採用し、いわゆる立憲君主制をとるこの国は、憲法においてこれを定め、以後一切の侵略戦争を放棄したのである。
中立と専守防衛は、攻撃の口実を与えにくい。そして、中立と専守防衛は武力それ自体を放棄するものではない。防衛に特化した武力を保持し、絶対に破られない城壁を拵えるのである。
ソロリノが選択した装備の中心は、魔導の力で動くゴーレムであった。腕の良い魔術師を国中からロリエに終結させた。鋼鉄のプレートを繋ぎ合わせ、巨大な体躯に似合わぬ小さな頭部を頂き、魔力を注入するとすぐにゴーレムは動き出した。菫色に塗られた分厚い鋼の巨体は、並のライフルや剣先はものともしない。崩壊しても再び魔導の力で動き出す不死身のゴーレムたちは、この国の頼もしき衛兵となった。
専守防衛とそれを支える強力な防衛戦力による威嚇力により、安寧は80年続いた。
が、ガバーン帝国が兵力を国境付近に集めているとの情報が入ったのが、今年の1月だった。こんなに中立と防衛に徹底しても、口実はまたも「ソロリノの国力増大による脅威からの防衛」であった。国際社会の非難もむなしくまもなく開戦し、専守防衛の実力が、試される時が来たのだった。
当初はソロリノが優勢であった。鉄壁を誇る何体もの不死身のゴーレムが進軍を迎え撃ち、津波のように次々と迫り来る相手の歩兵を薙ぎ倒した。後ろからは大魔術師らが業火の嵐の呪文を唱え、敵を焼き焦がす。防衛戦の戦況はどこも万事優勢で、ガバーンの侵略は、失敗するかに見えた。
しかし、口実は口実である。闇雲に失敗することのわかっている侵略など、するはずがない。80年の時を超えて要塞ソロリノの侵略を試みるのは、それなりの理由があった。
ある日、いつものようにロリエ北30キロほどの地点で敵軍歩兵隊たちと格闘していたゴーレムが一体、突然、真っ黒な蒸気を上げながら地に崩れ落ちた。
「『腐敗』だと!?異国部隊か!」
指揮をとっていた兵団長が異変に気づく。すると周囲に潜んでいた熱風兵の伏兵隊が飛び出し、一気に襲撃をかけて進軍を進めた。これを迎え撃った防衛隊に、数十人の犠牲が出た。どうにか20キロ地点で陣形を取り戻したが、初めての人的犠牲だった。どうやら帝国側は、文明も異なる異国と同盟を組み、圧倒的な物量で攻めてこようとしているようだった。
その日以来、一進一退の攻防が続いた。ソロリノも友好国から支援を受け、物資を補給する。ただ、半島の南端にあり北側の国境をガバーンに接するこの国は、物資の補給も、この時代の技術では、海路しかなかった。ちょうどその頃はソロリノの雨季であり、タイフーンによる大風や大雨で、海外からの支援は難航を極めた。備蓄していた魔力宝玉〜マナ・クリスタル〜も底をつき始めた。ゴーレムの再建にも魔力が必要なのだ。人的な犠牲は加速度的に増えた。この状態が1ヶ月も続けば、やがて圧倒的な物量で帝国側が攻勢を強め、城塞都市ロリエも陥落してしまうだろう。
「全ては計算どおりだったというわけですわね」
頭を痛めている国王の元へ、秘策があるという1人の魔術師が訪ねてきた。不審な者を城内に入れるような情勢では到底なかったが、藁にもすがる思いで招き入れた。その魔術師は、真っ赤なローブを纏い、豊かな金髪を携えた女性の魔術師だった。その魔術師が、これまでの戦況は全てガバーンにより計算されたものであり、秘策無くしてはこの戦争に勝てないと進言したのだ。
「…して、その秘策とは?」
訝しげに王は尋ねる。その答えは、あまりにも悍ましいものであった。
「わたくしは、死体をゴーレムにすることができるのです」
気味の悪さはもはや問題ではなかった。戦場でもはや野晒しになっている死体を集め、金髪の魔術師に魔法をかけさせた。するとたちまちのうちに、死体が融合し、どうにか人に近い形を取ったと思うと、すぐに動き出した。腐臭を放ちながら戦場へ向かった悍ましいゴーレムは、ちょうどその時前方から突撃してきた熱風の兵団と対峙した。死体のゴーレムの腕が派兵の刃に撃たれ、派手に飛ぶ。しかし構うことなく、ゴーレムは反対の片手で兵士の首元につかみかかると、信じられないほどの力で首の骨ごと彼を握りつぶした。
今の惨状から考えれば理論上無限に作れるとも思える死体のゴーレムは、たちまち戦況を翻していった。もうロリエの城塞から10キロを切ったと思われた相手の最前線は、次第に後退し、北へと追いやられていった。やがて雨季が過ぎ、海から運ばれてきた支援物資も届き始めると、通常戦力も回復した。悍ましい怪物たちによる反撃に、敵軍の戦意は、もはや喪失しているように思えた。
「目覚ましい活躍であった!」
王は真っ赤なローブの魔術師を呼び、褒め称えた。不気味な魔術に手を染めてしまった後ろめたさは残っていたが、もはや戦争の勝利は私たちの手にあった。戦況を一挙に覆すきっかけとなったこの金髪の女魔術師にはたくさんの褒美をとらせ、戦争をこれで集結するつもりであった。
「ありがたく存じます。ところで…」
「ん?」
「わたくし、もう一つだけ実験したいことがございますの」
「実験…?」
ニヤリと口元を歪ませた魔術師の笑みに、王は背筋がゾッとするのを感じる。そして、その歪ませた口元から、恐ろしい言葉が紡ぎ出た。
「敵軍の屍肉を食らいながら進む死体のゴーレムを作ります。このゴーレムは、死体の数が多ければ多いほど、大きくなりましょう。そして…」
青ざめる王に、魔術師は続けた。
「そのゴーレムで、ガバーン帝国を攻めるのです。かつてのソロリノの栄光を取り戻すために。ガバーンの戦力が大きく疲弊している今が千載一遇、絶好の好機ですわ」
「いかん!それでは、中立と専守防衛を守ってきた我が国の安寧が…そもそも、この国の憲法が、そんなことは許さない」
「そんなことはありません。これは、あくまで「防衛」です。もともと不当な国境変更があったのでしょう。相手を攻めて、屈服させて、それを取り戻して、初めて我が国の栄光が守られるのです」
「そんな解釈許されるはずがない!そんな口実は、敵国と同じ穴の狢だ!」
「そうかしら。それでは、民意〜ガバナンス〜に聞いてみましょうかね」
まさにちょうど数週間後に、議会の改選選挙が控えていた。この選挙は不気味だった。これまで誰も全く聞いたこともないような政党「黒の党」がたくさんの候補者を擁立したのだ。黒の党の公約は「ソロリノの栄光の回復」であった。黒の党の候補者たちは、しきりにナショナリズムを煽った。黒の党代表者による有名な演説の一節として、次のようなものがある。
「悔しくないか!ソロリノ民族として、これだけ攻められ、迫害される国の姿が!今こそ一致団結する時だ!我々の豊かな大地を、国境を乗り越え、敵国から取り返せ!これは我々民族が誇りをかけて行う歴史的な防衛戦だ!歴史的に見れば、今、まさに今現在、ソロリノは蝕まれている途中なのである!そこから我々が防衛するのは、国際法上の正当な権利の行使である!我々の土地を取り戻すのだ。我々ソロリノ民族の血にかけて、本来あるべき栄光を取り戻そうではないか!」
実際、強烈な右派政党というのは、80年の歴史の中でも何回も現れては消えていった。ただ、日常の平穏の中で、全く相手にされなかっただけだ。
今回は違った。北の帝国に侵略され、たくさんの軍人が命を失った。一時期はもう帝国の支配はすぐそこまで来ていたのだ。その恐怖に直面した人々は、追い払ってこれで終わりでは到底納得できる心境にはなかった。
国中で黒の党への喝采が聞こえるようになった。急激な右傾化思想に反対する対立候補はもちろんあった。必死で警鐘を鳴らそうとする知識人も大勢いた。しかしそのような声は、「非国民」「売国奴」のレッテルを貼られ、国民の非難の的となった。怒り狂った市民が、「非国民」たちに物理的な制裁を加える事例も多発した。
異様な熱狂の中で行われた選挙によって、歴史的、いや革命的ともいえる議席の交代が起こった。黒の党が議席の9割を獲得し、これまで政治を担ってきた第一党の政権が陥落した。まもなく首相が黒の党の代表者と代わった。
「さて、国王。これが民意というものです。兵を出す許可を」
謁見した首相は、自信に満ちた顔で国王に告げる。
「…ならぬ。しかもそんな悍ましい技術に手を出してまで…。許可はしない。王に留保された、最後の権力の行使だ。何があろうと、侵略のための武装は許さない」
「そう言うと思いましたよ」
首相はふっと鼻で笑うと、説得のためにとどまるでもなくすぐに踵を返した。背を向けたまま、こう言う。
「明日の朝を楽しみにしていてください」
翌朝、国家元首であるソロリノ国王は、国家反逆罪の罪で逮捕された。本来であれば考え難い行政の暴走であるのだが、裁判所はいとも簡単に国王の逮捕状を発付した。国王が不在となり、国家の緊急事態であるはずだったが、誰1人として熱狂を止められる者はいなかった。
かくして、その「実験体」は作られた。まず、材料となる死体を集め、炉に入れる。そこに魔法を帯びた触媒となる液体を満たし、一日中邪悪な魔力に漬け込ませた。しばらくすると、炉の中で何かが蠢くような音と、不気味な唸り声がした。憲兵が恐る恐る炉を開けると、中から、触媒をボタボタと床に落としながら、真っ黒な手が伸びてきた。次いで、頭部のようなものが炉の外に姿を現したが、目はなく、口から瘴気を吐き出していた。その頭部や手は、どうやらその実験体の身体の一部でしかないようだった。続いてその足や体躯の部分が姿を表すと、上半身は、いくつもの死体が継ぎ合わされ、顔や、手や、足が複数飛び出ていた。これまでの死体のゴーレムとの最も大きな違いは、色が死体のそれではなく真っ黒であることと、ゴーレムを構成する、死んでいるはずの死体が、それぞれ意思を持つかのようにウゾウゾとその体躯の中で蠢いていることであった。
この悍ましい実験体を擁するソロリノ軍は、まだ国境内に潜伏している敵国残党の殲滅をまず目的とした。ある旅団が、ロリエ北方50キロほどの国境に潜んでいるガバーン帝国の残党の団を発見した。数にして百人前後、戦力差はあまりにも歴然としていた。命乞いする敵国兵を捕虜になどすることなく、ソロリノの兵たちは、刃を振り下ろし、銃を撃った。それは実験の成果を見るためである。敵国の兵士がバタバタと地に伏すと、ロリエの実験体たちの様子が一変した。体を構成する死体の頭部にある目が赤く輝き、餌を出された犬のように、無邪気に、一目散に、血生臭く新しい死体に貪りついた。すると、実験隊の体が怪しく赤光りし、ムクムクとその身体を膨張させていった。数匹の実験体が、100の死体を平らげた時、それらは明らかにそれまでよりも体躯が隆々とし、巨大になり、漂わせている瘴気もより重くなっているように感じられた。
いよいよもってソロリノ軍は国境を突破した。巨大になったロリエの実験体の前では、国境を守る兵団など、敵にもならなかった。さらに実験体は死体を喰らい、もはや伝説上の怪物、ドラゴンと見紛うかような大きさになっていた。
しかし、このソロリノの快進撃に関する史述は、ここでぴたりと止まっている。ロリエの実験体を従えた部隊に、その後誰1人として生き残った者がいなかったのだ。語り継がれる歴史には、そこで実験体たちの大規模な反乱があったというものがある。もしそうなのであれば何があったかは想像に難くないであろう。
史実の推測根拠としては、囚われし国王が獄中で書いた手記が最後の証拠となるから、これを紹介しよう。
「今日は私の命日となるだろうから、これを記しておく。もっとも、何かを遺したからと言って、この様子では誰かがこれを見ることは期待できないだろう。今日、私は朝、大きな地響きで目を覚ました。北側に面した監獄の格子入りの窓から外を覗くと、遥か遠くから、何やら無数の黒い塊が近づいてくるようだった。最初は何か全くわからなかったが、次第に、それが巨大な人型の何かであるとわかった。それらが近づくにつれ、建物の中にいてもわかるほどの強烈な腐臭がし、あたりが瘴気に包まれていくのがわかった。監獄内の警報がけたたましく鳴り響き、囚人たちは皆パニックになっているが、看守たちは我が身かわいく、私たちを置いて一目散に逃げ出してしまった。巨大なものの姿が肉眼でもはっきりとわかるようになると、私はそれが何であるかを悟った。これは死体のゴーレム…いや!私が知っているそれではない、体は黒く光り、身体中の死体がそれぞれ蠢いていて、悍ましいほどの悪意に包まれている。そして私は見た。この戦争で流れたどの血よりも真っ赤に染まったローブを着た金髪の魔術師が、最も大きなゴーレムの肩口に乗り、これを指揮しているのを…!!ああ、全ては計画どおりだったということか。全てがだ!もうすぐこの国は滅亡する。さらばだソロリノ王国。もう、これ以上続ける時間はない。もう窓の外、すぐそこに奴がいる。赤く光る目がこっちを見ている!!!ああ!神よ!助けてくれ!今、壁が崩れて」