昨日、笠原真樹先生の『夢なし先生の進路指導』という作品を拝読しました。
ざっと言えば「夢を追う生徒さんに現実的な話をしてやる気を削ぐ……けど、卒業後に苦しむ元生徒さんに救いの手を差し伸べる、という先生のはなし」です。
で、最初の話が声優さんになりたい生徒さんの話でした。
途中で先生が、以下のような話をします(引用させて頂きます)。
「あるデータによると、声優志望者は毎年3万人ずつ増えていて、その総数は30万人以上。
~中略~
夢をエサに生徒を食いものにする養成所ビジネス。
23歳以上になると極端にチャンスが減る声優のアイドル化。
オーディション合格を条件に、わいせつ行為を行いプロダクション社長が逮捕された事件もありました」
で、この後、大学に行かせようとするのかと思いきや、そっちの方程式も破綻していると言い、結論としては「リスクを把握して覚悟を持て」と言うのです。
いや、非常に頼もしい先生じゃないですかー。
私が学生の時にもこんな先生が良かったです。
実際のところ、私が子供または学生の頃には「夢を持て!」とか言う大人が、圧倒的に多かったような気がします。
生まれて初めてその言葉を聞いたのは父親からでしたが……この話にご興味ある方は、後述しますのでよろしくー。
それはさておき。
この場合とは逆に、夢を語ると脊髄反射で「現実を見ろ!」と言って、否定してくる人も多いですよね。
親や学校の先生のような、一応その子の行く末を案じて言うてる場合もあれば、そいつがもし成功するのは嫌だ、あるいはただ単にえらそうにしたい、などという悪意100%な動機の場合もあるでしょう。
そもそもこの表現自体、ずれているのではないかと個人的に思います。
見るのは現実ではなく、お客さんです。
「客を見ろ!」
私が親なら、力強くそう言うでしょう。
で、声優さんというお仕事でのお客さんとは?!
最終的には、アニメや映画を観るお客さんがどれだけいて、どれだけお金を払ってくれるか、という話になります。
今現在の娯楽作品はアニメだけでなく、マンガやゲームなどなど、それも無料で楽しめるものが山のようにあるわけです。
その人の時間は限られていますから、それ故に「ゲームやりたいからアニメは観ない」などという人もたくさんいるのではないかと。
さらにアニメ作品だけで考えてみても、既に作られた過去の名作も山のようにある、という状態です。
そして先に書いたように、声優という仕事に就きたい人もまた、山のようにいるわけですけれども。
極端に言えば、声優になりたい人がたくさんいたとしても、さらにもーのすごい大きな需要があるならば、そこまでの大問題にはならないのですが……そんな状態ではありませんよね。
そんなわけで、数多くの有名な作品に出られた第一線でご活躍の声優さんでも、以下のような状態に陥っています。
ざっと言えば「インボイス制度によって、多数の声優さんが廃業しなければならなくなる、だから中止して欲しい」という内容の記事ですが、これはインボイスが一番悪いのでしょうか?
(と思って『すんません、それ、インボイスが問題ですのん?』という記事を書きました。
インボイスが良くわからない方は、記事中でも触れましたが、IMAKARA様のこの記事もどうぞ)
ついでに言えば、これと似たような、要するに「労働者の供給過剰」に陥っている仕事としては、アパレル販売員(特に女性向け)やディズニーランドのキャストなどがあります。
これらの仕事は人気があって、なりたいという希望者が多いので、低賃金でかつその他待遇も悪いまま放置されているわけですね。
なりたい人がたくさんいるから、嫌なら辞めろと言われて終わるという。
というわけで、ここまでは「夢(=就きたい職業)のある人には、まず客を見ろと、私は言いたい」という話でしたが。
ここからは、先ほど「後述する」と書いた話です。
「皆、夢を持て夢を持て言い過ぎ」ちゃいますか?
そもそも「夢って、あるに越したことはない程度のもん」ちゃいます?
私が初めて「夢を持て」って聞いたのは父親からでしたが。
この時の父親の職業は中学の教員で、でも「わしゃー教員には向いていない」が口癖でした。
まー、この後の話を書きますと長くなりますので、今日のところはここまでにしておきますけども。
要するに「いや、貴方様のようなお方に夢を持てとか言われましても、説得力というものがありまへんがなー」と、言われた私は思わず思ってしまったわけです(どっちやねん)。
で、夢のないままこの年齢になってしまったわけですが。
はっきり言って後悔は全然していませんし、むしろ私は夢がない方は合っていた、とさえ思っています。
というわけで、最終的には「夢を持つのが合っている人もいれば、合っていない人もいるわけであり、全員に夢を持てというのがそもそも間違いではないか」と。
それともう一つ。
今、これからの世の中では「無理して夢を持とうとすることは、むしろ時代に合っていないのではないか」と。
これがもう一つ。
何故ならば……いつもの結論になってしまいますが、既に生活に必要なものは揃っている状態ですから、相対的に見て「皆に夢を持ってもらって、より早く必要なものや欲しいものを新たに生産してもらわなければ……」という状態は既に脱している、のではないでしょうかと。
私はひきこもりで大学を辞めましたが、その理由は「夢も希望も、楽しいことも興味のあることも何もない」というもので、そういうものを持っている周りの人が、ものすごーく羨ましかったのですけれども。
そういう「夢や希望も持たないつまんないヤツ」だった私は、裏を返せば「他の女子に比べてかなり冷静だった」ような気がします。
さらに不細工でモテないヤツだったので、常に男性がらみのトラブルに悩む友人を見て「何でそんなのにかかわるんだろう」とか、あるいは「モテないっていうのにも良いことはあるもんだなぁー」とか。
まーそんな感じの「比較的おもろないけど困ったこともない人生」をこれまで歩んできましたが。
今は、どーせ年は取るもんだし、年を取ったら誰でも劣化するもんだし、とりあえず大して困ったことに巻き込まれなくて良かったなーと、心の底から思っています。
だから「夢を持ち、それで人生持ち崩さなくて良かった」とも、思っています。