DAOが言われているほど、あまり上手くいっていないのは何故か?
私は以前、メンバーの能力の問題だという記事を書いていました(が、上手く探せないのでリンク貼れません。残念)。
DAOという組織は、従来の「中央集権的で上の人だけに権限がある」というものではなく、フラットで各メンバーに権限を与えられたものです。
が、権限があるということは、裏を返せば「最低限の権利行使ができる」という能力が必須のものとなります。
お金を稼ぐという営利を目的とした組織の場合、需要と供給でいえば供給側であり、供給側が持たねばならない能力では、労働者の能力と資本家の能力と経営者の能力があります。
日本人は労働者の能力に偏り過ぎているわけで、残りの資本家と経営者の能力を育成するためには政治の力が要るわけですが……この先の話は長くなるので割愛……。
(また、上手くいった例としてはビットコインが挙げられますけど、早い時期に参加できるのは頭の良くて能力の高い人ですよね)
DAOと言えば、前澤氏のMZDAOってどうなったんだろう?
調べると以下の記事が出てきました。
昨年の記事ですが、ものすごく参考になりました。
まずは「中央にすごい人がいる場合は、DAO的なシステムにしても難しい」ってことがいえるかと思います。
そう言えば先日、リベラルアーツ大学の早朝ライブをたまたま拝聴したのですが、一言で言えば「みんな、何でも学長に聞いとるなぁー」でした。
学長自ら「もっと自分で考えやー」と苦言を呈するほどです。
それぐらい学長さんはすごい人なので、皆さんがそんな感じで思考停止になりがちなんですよね。
実はこれ、DAOまたは現代の話だけではありません。
大学時代、龍谷大学に進学した当時の友人に聞いた話ですが。
真言宗と天台宗を比較すると、天台宗では最澄の後に円仁や円珍などの優れた弟子が出ていますが、真言宗では彼らに肩を並べるほどのお弟子さんはいません。
何故でしょうか?
理由は「空海は天才過ぎた」というものです。
ここでお断りしておきますが、最澄も非常に優秀な人物でした。
ですが、多少のツッコミどころがあったため、弟子の間で「そこを何とかしなければ……」との議論が高まり、切磋琢磨しているうちに優れた弟子が出てきました。
それに対して、空海の残した教えは完璧なものだったから、弟子は皆「お師匠様の教えでいいじゃん!」になってしまいがちだったと。
空海を調べていくと、以下の記事が出てきました。
いや、まじですごいですよね。
頭が良いだけでなく、人も心を掴むの上手く、その中に嵯峨天皇がおられたと。
まさに天才です。
しかしそれ故に、現世でやり過ぎちゃったという面もある、というお話でした。