以前『これからの生き方を知るには、リベラルアーツがほぼ必要。その理由は?』という記事を書きましたが。
その記事で、その答えは以下だとも書いていました。
その一、ラグジュアリーな商品や芸術を生み出してビジネスにするため
その二、個人の幸せまたは何のために生きるのかなどの答えを出すため
その三、メタバースに対応できるようになるまたはその人材育成のため
今回はこの三つの中でも、一つ目の「ラグジュアリーな商品」について。
上記リンク先の記事では「哲学」と「束縛から解放(=リベラルアーツの目的)」を組み合わせてみると、以下のようになるとも書いていました。
その一、ラグジュアリーな商品や芸術を生み出してビジネスにするため
→「哲学」必須、できれば「束縛から解放」も欲しい
この「束縛から解放(=リベラルアーツの目的)」があれば、ラグジュアリーの価格を引き上げるのが容易になるというのが、今回のお話です。
例えば、以前にも例として挙げたシャネルのスーツとか。
以下の電子書籍から、該当箇所を抜粋します。
これまでに、シャネルのスーツには「男性から見た女性の美しさの強要から、女性を解放する」という思想が含まれていると書きましたが、これを言い換えると「男性の持つ美しい女性像という束縛からの解放」となります。
出た、出ましたよ?!
「束縛からの解放」が。
これまでに私は「ココ・シャネルの思想や哲学が、シャネルスーツの値段のほとんどを占めている」と書いていましたが、その「思想や哲学」の正体が「(男性の持つ美しい女性像という)束縛からの解放」です。
優れたラグジュアリーとは、人を不幸に貶める「束縛」を「解放」し、より大きな「自由」という幸せをもたらしてくれる、リベラルアーツの目的を持つ素晴らしいものである。
これを知っていると、ラグジュアリーのビジネス化がより容易になります。
……って、私にはそれを実行する能力の方はありませんけどね(´;ω;`)
で、何でこのことを知っていると「ラグジュアリーのビジネス化がより容易」になるのでしょうか?
それは、海外のラグジュアリーを知っている高貴な方々は、恐らく「リベラルアーツの教育を受けているか、少なくとも知っている可能性が高いから」なんですね。
商売をする時は、相手の立場を考えるのは当たり前の話ですが。
日本では長らく、生活に必要な物やサービスが「ない」または「足りない」時代を経験してきました。
また、満たされた時代になっても、災害等で一時的にその時代に逆戻りすることもあります。
故に日本では、この当たり前の対応が不十分な状態であると言わざるを得ません。
具体的に言えば「自分以外の誰かの立場を考える教育が不十分」だったりします。
(「自分が相手の気持ちになって考えて、相手が嫌がることは決してしないように」ということは教えてもらえますが、この場合は「自分という一人の人物が、その人の立場に立った場合」の一パターンでしか、考えることができません)
物が「ない」または「足りない」状態であれば、それを生産するだけでお客さんのためになります。
(例えば食料がなくて餓死する人が多い江戸時代なら、食べ物を生産するだけで世のため人のためになる行為になるのは当たり前で、ひたすら何も考えずに一所懸命農作業に従事するだけで、仕事熱心だと言われて褒めてもらえますよね)
というわけで、ラグジュアリーの商品を生み出して売りたいのならば、ラグジュアリーの商品を買ってくれるであろう顧客層の立場を考えなければならないのは、当たり前の話です。
日本が本気で、ラグジュアリーの商品を世界中の人々に買ってもらおうとするのなら、ここら辺の教育をもっと手厚くしなければならないでしょう。
(ちなみにですが、この「自由」について興味深い記事を見つけました。
上記リンク先のページから引用致します。
「World Happiness Report 2021」の調査で、日本は調査6項目のうち、その「自由度」と「寛容さ」が上位10カ国と比べ低いことがわかりました。
日本が世界と幸福度格差を埋めるためのポイントは、「自由度」と「寛容さ」にあると科学的にもいえるでしょう。
ラグジュアリーや芸術は人々を幸福にするものですが、それは「束縛から自由」をもたらすものであり、その度合いである「自由度」が低い我が国は幸福度ランキングで毎年惨敗する根本原因の一つでもある、というお話でした)