以前『藝術と芸術とアートの違いを知ると、これからの生き方も見えてくる』という記事を書きましたが、もうちょっとだけ具体的になると今回の記事になります。
というわけで、これからの生き方を知るために何故リベラルアーツが必要なのか、その答えは以下です。
◎世界の流れを知り、それに対応できるようにするため
(先に申し上げておきますが、私は欧米の価値観が正しいと言いたいわけではありません。
その価値観を知った上で「いや、それは強者の理屈じゃないか」と考えて、あえて受け入れない、というのも良いのです。
ですがその考えを知らないことには、その後の対応を考えることはできないではないですかと。
だから、まずは知る必要があるのではないかと、そのように考えています)
もうちょっと具体的に言えば、以下です。
その一、ラグジュアリーな商品や芸術を生み出してビジネスにするため
その二、個人の幸せまたは何のために生きるのかなどの答えを出すため
その三、メタバースに対応できるようになるまたはその人材育成のため
これらのことをこれまでのやり方で達成するのは、非常に難しいと言わざるを得ません(というか、非常に優秀な方以外ほぼ不可能ではないかと思います)。
以下の図をご覧ください。
メカニカルアーツで生き残る人材とは、AIやロボットを生産や制御する側の非常に優秀なエンジニアや、あるいはその上に立つ政治家など、非常に少数でかつ極めて優秀な人に限られるようになります。
そこで労働では貢献できないとなりますと、そういう優秀なエンジニアの集まる会社に投資し、資本家として貢献する方法もあります。
ただしこの場合、何もせず生きていけるリターンが得られるほどの金額を投資する必要があります。
となりますと、もう一つの方法である「より上位のリベラルアーツと哲学を学び、そこで人類に貢献し、その報酬を得る(つまり、それを仕事にする)」ということを検討する必要があります。
先ほどの答えと、図で黄色の線で囲った「哲学」と「束縛から解放(=リベラルアーツの目的)」を組み合わせてみましょう。
その一、ラグジュアリーな商品や芸術を生み出してビジネスにするため
→「哲学」必須、できれば「束縛から解放」も欲しい
その二、個人の幸せまたは何のために生きるのかなどの答えを出すため
→「束縛から解放」必須、できれば「哲学」も欲しい
その三、メタバースに対応できるようになるまたはその人材育成のため
→「束縛から解放」必須、できれば「哲学」も欲しい
(少なくとも現実の束縛からの解放に対応できる人)
というわけで、三つとも「束縛から解放(=リベラルアーツの目的)」は必須となるからです。
そしてこの「束縛から解放(=リベラルアーツの目的)」の「目的」とは何なのか?
コトバンク様によると、目的とは「手段との相関概念で、広くは事象一般、狭くは人間の行動がそれへの到達またはその実現のために向かうことを予定される目当て、目標、理想をいう」とのことです。
(また、相関概念とは「一方があれば他方があるという相対概念の一種で、一方がなければ他方が存在しないような概念」とのことだそうです)
要するに、目的とは概念という「物ではない形のないもの」なんですよね。
さらに「哲学」も含めて「物ではない形のないもの」ではないですか、と。
というわけで、日本人は物やお金を大切にするのは良いのですが、概念やその概念を生み出す人を粗末に扱いがちではないでしょうか?
真っ先に思い当たったのは、人道的には問題がないのに「今までの常識とは違う」という理由でやたらにSNSとかで人を叩きまくるところ、とか。
これって「従来の常識という束縛から解放」が必要な状態ですよね?
そうすることで、かなりの人が不幸な状態から脱することができます。
※今回もウィキペディア様にはいろいろお世話になりました