引き続き、イギリスの産業革命時の話です。
前回の記事では、ワットによる蒸気機関の改良(円運動にしたこと)によって蒸気機関車と蒸気船が発明され、交通革命が起きたことをお話ししました。
その交通革命によって、大量の物をより速くより安く輸送することができるようになりました。
そこで原材料や製品を輸送し、工業が捗ったことをお話ししましたが、なら農業もそうなのではないかと。
運ぶ物が食糧品になるだけであり、そうなるとより安くてより大量の食糧が、より貧しい人にも手が届くようになって……と、思うやないですか。
しかし実際は穀物法という法律があって、そう簡単にはいかなかったのです。
世界史の窓様の以下の記事をご覧ください。
該当部分を引用させて頂きます。
穀物法は1815年、地主や農業資本家が多数を占める議会で成立した。
イギリスでは、ナポレオン戦争後、平和を回復したヨーロッパからの穀物輸入が増えたため、穀物価格が下落し、農業不況の様相となった。
そのため、時のトーリ党(保守党)政府は「小麦価格が1クォーター80シリング以下の時は小麦の輸入を禁止する」という穀物法を制定した。
これは地主や農業資本家の利益を守るねらいから定められた保護貿易政策であり、そのため穀物価格は高くなって消費者である都市住民、労働者が反発し、1819年にはマンチェスターで8万人の労働者が集まって選挙法改正とともに穀物法反対を訴える大集会を開いて、官憲から弾圧されるというピータールー事件が起こった。
一方、産業革命を経て形成された産業資本家の中には自由貿易主義を主張する声も強くなった。穀物法で輸入が制限されると、貿易も停滞して工業製品(綿織物など)の輸出が阻害されるようになったために産業資本家も強く反発するようになった。
1840年代には物価騰貴・食糧不足は深刻となったため、労働者の中にも政治要求が高まり、1842年にはチャーティスト運動が盛り上がった。さらに1845年にアイルランドでジャガイモ飢饉がおこるなど、深刻な事態が続いたため、ようやく1846年に議会が穀物法の廃止を成立させるに至る。
ほとんど引用させて頂いてしまって恐縮ですが、ここまでをまとめると。
という話でした。
それで政府与党である保守党は敗北するわけですが、結果的には良かったということになります。
その部分を引用させて頂きますと以下です。
地主階級を基盤とする保守党は穀物法堅持を党方針としていたが、首相のロバート=ピール自身は大綿業家の息子で、保守党員でありながら自由貿易派だった。
穀物法反対が盛り上がると廃止に踏み切るタイミングを計っていたかもしれない。
~中略~
ピールはついにホイッグ党の自由主義派であるマンチェスター派に同調し、廃止に踏み切った。
こうして党首に裏切られた保守党は分裂し、翌年穀物法廃止法案は議会を通過した
生きのこった保守党はピールの方針転換によって、単なる地主=ジェントルマン政党ではなく、近代的な国民政党へ脱却できたと言うことができる。
引用は以上です。
ここで最も言いたかったのは「交通革命が起こったから、すぐに良かったねー……とは、ならなかったね」というそれだけのことでしたが。
しかし、逆に言えば「(すぐにではなかったけど)交通革命が起きたことで、穀物法がなくなって良かったね」ということもできます。
さらに「保守党は支持基盤である地主らの利益よりも国民の利益を優先することで、結果的には近代的な国民政党へ脱却できた」ということもありました。
やっぱり、交通革命による安価で速く大量の輸送できる「手段」ができた、ってことは良いことであり、その効果も時間は必要だったけど十分にありましたよね。
だから皆さん、ALISを含めた暗号資産も良いものですよっ?!
時間はかかるけど、きっと明るい未来が待っているはずです。
ぶっちゃけ、私はもうかなりの年齢なので、その前に寿命が尽きるかもですが。
皆さんはお若いから、まだまだ待つことができると思います。
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