私がまだ学生の頃の話です。
北野武監督が映画監督になる前の大御所芸人ビートたけしさんだった頃のトーク番組で、故・野坂昭如氏がゲストで来られました。
そこで野坂氏は以下のような話をされていました。
「大学入試なんかで『火垂るの墓』が出題されることがあって、その時に“この時の作者の気持ちを書きなさい”なんていうのがあるけど、あれ全部間違いだからね」
「その時の気持ちとは“締め切りのことしか頭になかった”だから」
それを聞いた北野氏が「そんなの先生しか答えられないから、問題にできないじゃないですか」というようなツッコミを入れられていたのを覚えています。
この時の番組名とかテレビ局とかは微塵も思い出せないのですし、検索しても出てこなかったのですけれども。
このエピソード自体を記載した記事は見つかりました。
西宮ブログ様の「野坂昭如 『火垂るの墓』の真実を訪ねる」です。
該当部分を以下に引用させて頂きます。
<収入が増えたのはありがたいが、ぼくはなんとも居心地が悪い。『火垂るの墓』は、父は戦死、母を空襲で失った十四歳の兄、四歳の妹の、終戦直前の焼跡、また落ちのびた先での明け暮れ二ヵ月半ほどを、三十枚にまとめたもの。
この作品は後に、中学校二年国語教科書にとり上げられた。後にも先にもないことだが、下の娘が、「これどう書けばいい?」
教科書を開いて、ぼくに訊ね、つまり『火垂るの墓』の抜粋、教師が、「この作品を書いた時の作者の心境を記せ」と、宿題を課した。
「それはつまり、締切りに追われて、後先の考えなく、ワーッと書いたんだけどね」
「フーン」父親がいつも締切りを守れず、電話とるなり、誰かれかまわず、まず「すみません」と誤り、果ては逐電してしまうことを、娘も心得ている>
この話には尾ひれがついて、宿題にそのまま書いて出したら、×だったという笑い話ネタとなってツイッターに流れています。
引用は以上です。
尾ひれのついた話は知りませんでしたが、そんなことにもなっていたんですね。
というわけで「国語の試験で出題される問題の本当の答えは、その解答とされるものではない場合もある」という例を一つ挙げてみました。
これって、最後の最後は作者本人にしか、わからないことですもんね。
このことから「文章を読んで得られる答えだけがすべてではない」ということがわかります。
とは言え、文章を読んで「作者の言いたかったことはこういうことだろう」ということを掴むのは、情報収集の基本です。
まずはこの基本的なことができるようになった上で、今これからの時代の当たり前である「分散化」に対応できる答えも出せる、というのが理想的だと思います。
書きたかったことは以上で、以下は余談です。
一般的にはこの情報は良いものだけど、実は別の情報の方がより有益だった、という場合もあります。
この場合、書き手はむしろ軽視していた情報であるという可能性もあります。
さらに書き手どころか100人いれば100人ぐらいは全員が軽視していた情報であり、10000人に1人いるかいないかで気付けたその人は、億万長者になれたかも……という場合すらあります。
この話にご興味ある方は、以下の記事もどうぞ。
よろしくお願い致します。