実は、ほぼ同じテーマで以下の記事を書いたことがありました……が……
……ちょっと難しすぎたかなぁーと反省。
今回はもっと簡単な話です。
一行で言えば、童謡「アイスクリームのうた」の歌詞で指摘されている以下のことです。
おとぎ話の王子でも、昔はとても食べられない、アイスクリーム
では、ここからもうちょっと具体的な話をします。
日本三大随筆である枕草子の「第四十二段:あてなるもの(=上品なもの)」に、以下の記載があります(「学ぶ・教える.COM」様のこのページより以下、引用)
あてなるもの、薄色に白襲の汗衫。かりのこ。削り氷にあまづら入れて新しき金鋺に入れたる。~後略~
この「削り氷にあまづら入れて」が、かき氷(=削った氷に、甘葛という甘い味の植物の汁をかけたもの)に相当します。
平安時代、真夏に氷を扱うことのできる人は非常に位の高い人だけです。
ソースなしで恐縮ですが昔、読んだ本には「従三位以上」と書いていました。
五位以上で貴族と呼ばれる身分になるわけですが、その中でも位の高い人しか氷に触れることはできないのです(基本的には)。
そんなやんごとなき人しか触れない食べられない、真夏のかき氷ですが。
どこからどう見ても、あんまり美味しそうではありませんよね。
はっきり言って今の庶民の方が、この点では非常に恵まれています。
なななんと、ワンコインでスーパーでもコンビニでも、気軽に真夏にアイス食べられますよ何ぼでも(100円玉でガリガリ君、500円玉ならハーゲンダッツ買えます。食べ過ぎ注意!)。
昔の平安貴族にガリガリ君を食べさせたら、あまりの美味しさで死ぬほど悔しがるのではないでしょうか。
……ま、既に死んでますけどね。
というわけで、私は思うのです。
「同じ時代を生きる人と比べて」不幸になっている人って、多くないですか?
「前の時代を生きた人と比べて」幸せになることを、是非おすすめしたいです。
このことは違う時代だけではなく、違う場所であっても同じことが言えますね。
例えば戦争や紛争地域に住んでいる人は、今の時代でも大変な思いをしているでしょうから。
もう少し大きな話で言えば、そもそも「知る」ということそのものがとても贅沢なことで、昔は命懸けの行為によってもたらされたものでした。
例えば遣隋使や遣唐使の時代は、そもそも「これらの船に乗れるだけで超エリートかつ超ラッキー」でありながら、かつ「船が難破して最悪死ぬかもしれない、平穏無事に帰って来れたら超超超ラッキー」という。
で、調べてみるとさらに「イケメン」という条件までありました。
ま、確かに、見た目の良い方が「より良い情報をより多く」得られますもんね。
つまり、そこまで持っていてそこまでやらなきゃ「知る」ことができなかった時代だったわけですが。
そんな時代に私は生まれていなくて、本当に良かったです。
指一本で家に居ながらにして、ほとんどタダで「知る」ことができるとは。
私は今、なんという幸せな人生を歩んでいるのでしょうか。
皆さんも是非私と共に、幸せを分かち合いましょうよ!!!
とりあえずは、ガリガリ君を食べて……
……って、寒いから不幸になるっちゅーねん。