九州の田舎農家の次男として生まれ、特になんの目標も持っていなかった子供だった。ただ自分のお金が早く欲しくて進学ではなくトヨタに就職を決めた。時代も良く高卒のただの新入社員でも高い給料が貰えるそんな時代。将来安泰で問題なしとも思ったが、逆にすっきりと将来が見通せたことに不安を感じた。同期の仲間たちを見回してみると、競艇選手、ミュージシャン、ダンサー、デザイナーといった今ここではない他の目標を目指す友人も多く、田舎で育った自分には何の情報もなく、選択がある事すら分かってなかったことを痛感。自分の考え次第で何物にもなれる可能性があることを知った。一年が過ぎた頃には退職を具体的に考え丸二年で退社。安定した生活を捨てて専門学生に鞍替え、しかも新聞奨学生という環境で。人生思い通りいかないことも多々あり、専門学校を中途退学し、テレビ番組制作の専門学校へ再度入学そして無事卒業。フリーター生活を経てテレビ業界へ足を踏み入れた。奴隷のようなAD時代も素晴らしく苦しく楽しかった。12年間のテレビ業界では情報バラエティからドラマに転向し、肩書きもアシスタントディレクター→ディレクター→制作進行→制作主任→プロデューサーと変わっていった。激しくやりがいも感じていたが…20世紀最後の年にまったく畑違いのオーナーバーテンダーとしてBAR経営を始めた。しかも港区六本木という場所にも我ながら思い切ったなって思った。雑居ビル最上階のBARではクリエイターに壁を無料で提供し作品展をサポート、才能あるクリエイターからたくさんの刺激をもらった。BAR経営と同時進行で宅建の免許を取り不動産業界に身を置くことも。またフィナンシャルプランナー資格を取りお金に関する知識を得てみた。しかし2011年、東日本大震災がきっかけなのかな…東京卒業を決意、少しだけ縁のあった大分へ移住した。そこからの数年、個人的には波乱万丈だけどそれでもサラリーマン生活の安定と平和感は実感できた。しかしワクワクするほどの刺激はなく心から盛り上がることはない。自分の存在意義を感じられない。ということで、日毎沸々と湧き上がるアイディアを具体的に動かすために頑張ってみることにした。