ところで、鹿魚も〈琶桴ノ役〉に参加していた。〈栩瘡元年式年閲兵〉で〈《構エ筒》《進メ》《休メ》ノ号令ヲ掛ケ〉た後、太尉将の階級を剥奪されることはない。一将卒であれば〈戦イ〉に際しては出征する義務があり、鹿魚が〈妾モ行クノダロウ〉と当然のことを確認するように侍従丞樂止藐に言ったのだが、反駁出来そうな論拠を軍規操典軍法のどこにも見出せなかった。詭弁だと分かっていながら〈《出征スル義務》ナドナイ。権利ガアルダケダ〉と侍従丞樂止藐は鹿魚に説いた。子供騙しは通用しない。〈将卒ガ戦場ニ赴クカドウカ選択スル権利ガアルナラ誰モ好キ好ンデ死ニニ行カナイ〉。だが、鹿魚が〈義務〉を振り翳して〈戦場ニ赴〉かざるを得ない局面に自分を追い込んだのは〈好キ好ンデ死ニニ行〉こうとしているのだろうか。太尉将鹿魚には、侍従丞樂止藐の大学寮時代の同窓である羽林将郎經津區を副官として付けることにした。鹿魚と經津區は幕営地を見下ろす丘にいた。
鹿魚、「草鞋」羽林将郎經津區、「經津區です」「飯はまだだろうか」「いま準備しているようですね。煙が立っているでしょう。あれが厨幕です」「知ってる」「戻りますか」「まだいい」〈膨ランダ綿襖衣ニ藍ト銀ノ縦縞、袴ト脚絆モ同ジ模様デ、足ニハ雪駄ニ似タ平ラナ赤イ沓〉、〈緑ノ三角帽子〉は鹿魚によく似合った。とても〈可愛イ〉。「今日は」「生姜粥と羊乾酪でしょう。匂いがきつい」「違うよ。作戦はどこまで」「依然、大教社を包囲しています」「まだか」「〈率勿㮈〉と名乗る地元の愚連隊が今朝兵糧を入れました」「なにをやっているんだ。破落戸なんかを通したりして」「全くです。これでさらに十日は持ち堪えるでしょう」「早くしろよ」「大本営からくれぐれも貂鼬皮を傷付けるなと」「知ってる」「戦争は終えたいと思ったときに終えられるものではないのですよ。十日くらい待ちましょう」「十日したらいいのか」「はい。殿下が御出ましになって、〈突撃〉の号令をば」馬鹿にしている。しかし、骨盤内鬱血性子宮窒息めいた癇癪を起こしてはいよいよ無様であり、決定的に子供扱いされると自覚していたので、羽林将郎經津區が丁寧に説明する限りは納得してみせるしかなかった。〈私ニハ鹿魚ガナニヲ考エテイルカ分カラナクナッタ〉と前に書いた。〈分カラナ〉い筈だ。鹿魚にも自分が〈ナニヲ考エテイルカ分カ〉っていない。鹿魚、「飯まで練習をしよう。付き合え。暇だろう」羽林将郎經津區、「はい」「異端を殺す練習だ。石とか草を適当に並べろ」「はい、殿下」鹿魚はもう芙式六連発拳銃を構えている。羽林将郎經津區が擤羊歯の巨大な葉を枝に引っ掛けて即席の的を作る。それをじっと待っている。
〈厨幕〉の〈煙〉から遠く離れた港の蔵屋敷でも、入道雲のような太く濃い煙が立ち昇っている。羽林将郎經津區は敢えてそれを指摘しなかった。従軍祇教簸羽止の立会いのもと、焚書が行われていた。畜神轂南須信仰が中央の神道から如何に枝分かれしたかを示す重要な資料が含まれているに違いない。豐枳泥〈紫摩金行状志〉、作者未詳〈邇甞ノ礼拝ト三老丁ノ讃歌〉、飫于登〈正神智〉、夏斯教社の枢教〈犠牲ノ教理ト祭儀〉、咩巨〈牴牾演舞研究〉、粒周〈神道論〉、馬栖〈毛遊歌全釈〉、謎諦娜の粒周〈嗣堤去考〉といった書物の表紙が反って、黄ばんだ炎に縁取られて、真っ黒になる。どれも興味深い。三百年経たなければ、どれほどの損失であったか理解出来ないだろう。
ヤセユクウデヲ/カバイツツ
アレノヲヒトリ/タダヒトリ
カゲロウモエル/メジノハテ
ハヤルココロヲ/オサエカネ
アワイアコガレ/ハルノユメ
ヤガテクチユク/スナノウエ
ホホエミコオル/クチノハニ
ソットオリタツ/クロイチョウ
書生、大学寮老師、郷土研究家、あるいは酪農商の下婢までがどこからともなく集合し、歌っている。神秘派田園詩人稜特覇が火に飛び入り、燻る薪を手に兵卒どもに殴り掛かったとき、その場で斬殺され、〈大好キナ本ト一緒ニ燃ヤシテヤルヨ〉と譬葉跡なる下等兵曹に罵られながら遺骸は書物の奥深く叩き込まれた。中兵尉何某はその軽挙を詰ったが、もう回収は不可能な程に火が回っていた。人肉の焼ける匂いに耐えねばならなかった。神秘派田園詩人稜特覇の犬死を悼むようにこの歌が群衆から湧き上がったのである。〈異端ノ言ヲ折伏スル〉為に全員捕縛しようとした。従軍祇教簸羽止がこれを制止し、〈訛リニ訛ッタ鴃舌。歌詞ガ聞キ取レヌノデ異端ノ言ヲ含ムノカドウカ判断出来ナイ〉と言い放った。群衆は泣いた。女婢旨由手が従軍祇教簸羽止の足元に跪き、〈アナタヲ信ジマス。アナタノ信ジル神ヲ信ジマス〉と涙ながらに訴えた。皆が女婢旨由手に続いた。
鹿魚は一発も〈的〉に当てられなかった。鹿魚、「銃が悪い。曲がっている」羽林将郎經津區、「そうでしょうか」「妾の腕か」「いえ」しかし〈銃ガ悪イ〉のは真実であり、鹿魚の芙式六連発拳銃は七世代も前の骨董品である。現行の銃とは弾薬の互換性がないので、革帯にぶら下げた巾着でじゃらじゃらしている五十二発がなくなればもう使えない。子供の玩弄物のつもりで持たせたのだ。鹿魚、「詰まらない」羽林将郎經津區、「では、食事に。そろそろでしょう。御腹がすかれたのでは」「全部詰まらないんだよ。こんなこと、常寧殿の庭でだって出来る。でも、いまは帰ってやらない。おまえは帰ってからも妾の副官か」「さあ。私が決められることではありません」「そうしたいと言っておけ」「言うだけ言ってみます」「おまえがいても、やっぱり〈詰マラナイ〉けどな」