およそ400年前、戦に負けた数百人の武士が京都・伏見城の中で自害しました。
自害したとき城の床に飛び散った血で染まった床板はその後取り外され、供養のためお寺の天井板として設置されたといいます。これが血天井です。
この血天井、今でもその血痕をはっきり見ることができます。
どす黒い血痕で染まった生々しい血の天井を見に、京都のいくつかのお寺を訪ねました。
時は1600年夏。関ヶ原の戦いの直前。
京都・伏見城に籠城していた徳川家康の家臣・鳥居元忠ひきいる東軍は西軍から攻撃を受け、伏見城は陥落し鳥居元忠をはじめ800人の武士はこの伏見城で討ち死にしました。
これが、日本史の教科書にも載る有名な「伏見城の戦い」です。
この伏見城の戦いは関ヶ原の戦いの前哨戦と言われこの時は西軍が勝ったのですが、すぐ後の関ヶ原の戦いでは東軍が勝利し徳川幕府が成立したことはあまりにも有名です。
伏見城内で自刃した380人にもおよぶ武士たちのおびただしい血は、城の床を赤く染めました。
関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、この武士たちを供養するため血痕の付いた床板を引き剥がして、京都のいくつかのお寺に分けました。
この血で染まった床板は、分けられたお寺では床ではなく天井に張られました。床に張ったら武士たちを足で踏みつけることになりますから。
これが血天井です。
血天井はいつくかのお寺で今でも見ることができます。
今回は、そのうちの3ヶ所のお寺を訪ねたので紹介します。
これが、今回訪ねた血天井が見られる主なお寺の地図です。
宝泉院、源光庵、そして養源院。
伏見城の戦いが起こった伏見城は残念ながら廃城になっています。
今はテーマパークのアトラクションとして鉄筋コンクリート造の伏見桃山城が建っていますが、テーマパークは閉園しているので入ることはできません。タモリさんがNHK番組ブラタモリで城に登っていたので、テレビアーカイブでは内部を見ることができるかもしれません。
さて、ここで良い子のお約束。
ここから下には血で染まった写真をいくつか載せています。
気分が悪くなるおそれがありますので、苦手な方は読むのをご遠慮ください。
まずは大原にある宝泉院(ほうせんいん)。
京都の市街地から離れた山里の大原に静かに建っています。
宝泉院の名物は、この額縁庭園。
柱や梁を額縁に見立てて、その中の景色を絵のように鑑賞するのです。
ここ宝泉院の庭園は額縁庭園の代表格として有名です。
特に雪景色は幽玄と世界的に評価が高く、寒い冬に不便な場所にもかかわらず新型コロナ流行前は世界中から観光客が訪れていました。
そして、宝泉院のもう一つの見どころが血天井。
額縁庭園の縁の天井がそれなのです。
これが血天井の写真。
血で染まった足あとが左右にあるのがわかります。
こちらは、血のついた指で床を引っ掻いた跡と思われます。
自刃(じじん、刀を用いて自害すること)した時、さぞ痛かった苦しかったのでしょう。
生々しいです。
続いては、鷹峯(たかがみね)の源光庵(げんこうあん)。
鷹峯も京都郊外にあり、静かな環境です。
源光庵の名物はこの「悟りの窓、迷いの窓」です。左の丸窓が悟りの窓。
この窓は、とても洗練された素晴らしいデザインと世界的にも評価が高いです。
ここALISのサイトもこの源光庵を参考にデザインされているようです。
冬になると、窓は雪景色となります。秋は紅葉と四季を通じて色が大きく変化するのです。
さて、この美しい景色と真逆のおどろおどろしい光景が、上の写真を撮っている場所の天井にあります。
源光庵血天井。
水もれの跡ではありません。このおびただしいシミは自刃した武士の血痕なのです。
はっきりとした血の足あとも見えます。
少し気分が悪くなってきたような気がしますが、もう1ヶ所行きましょう。
血天井の最後は養源院(ようげんいん)。
ここには一番多くの血痕が安置されています。
伏見城を守った大将である鳥居元忠の血痕とされるものも見ることができます。
一番ヤバい血天井なのです。
養源院の場所は国宝・千手観音で有名な三十三間堂の向かいです。
三十三間堂は世界的に有名で多数の拝観者が訪れますが、向かいの養源院はとても静かです。
門の前の立て札には「桃山御殿 血天井」とデカデカと書かれています。
桃山御殿とは伏見城のことです。
では、重要文化財の本堂へ入らせていただきます。
と、ここから内部は一切撮影禁止。
残念ながら血天井の写真を撮ることはできません。
なぜかって? そりゃ、いろいろヤバすぎるからでしょう。
代わりに、この時いただいた養源院公式パンフレットの写真を引用させていただきます。
養源院で有名なのは、俵屋宗達の杉戸絵・白象図(重要文化財)。教科書にもよく載っています。
ここでは複製図ではなく実物を見ることができます。しかも本来設置されるお堂の奥の戸に設置されており、この絵が描かれた意図がよく分かるようになっています。
このあたりの説明はご住職の奥様が詳しくしてくださいました。
そして血天井。
このパンフレットの写真ではわかりませんが、本堂廊下の天井すべてが血天井なのです。
中でも、徳川方大将の鳥居元忠のものと言われる全身の血痕がすごいです。
烏帽子をかぶった頭、肩、足、そして刀までもの全身の血痕が見られます。
これもご住職の奥様が血痕を指して、ここが頭でここが足でと説明してくださいました。
いや、これヤバ過ぎでしょう。
しかもまぶしさを避けるようにと窓にカーテンを引いて暗い雰囲気となり、天井を眺めるために首を上に曲げる少し苦しい姿勢を続け、暑いこともあって気分がちょっと。
ああっ…。
事実は怪談より奇なり。
実際に血痕を見ると、自刃した生々しい姿を容易に思い浮かべることができます。
天井のシミが血痕かも知れないという怪談はよく聞きますが、これは本物ですから。
とてもインパクトのある血天井ですが、それほど有名でないのはヤバすぎてあまり大々的に宣伝できないからではないでしょうか。
でも、来年(2023年)のNHK大河ドラマ「どうする家康」では徳川家康を取り巻く出来事が取り上げられるので、この伏見城の戦いそして血天井がクローズアップされると思います。
養源院のご住職の奥様が、先日NHKの方とドラマの俳優さんが訪ねてきたと言われていましたので。
実は写真では血天井の雰囲気はあまり表せていませんし、そもそも養源院は撮影禁止なので、実際に見に行って下さいませ。血痕の生々しさが伝わってくると思います。
でも、気分が悪くなって倒れないよう、くれぐれもご注意下さい。
本記事は「2022真夏の怪談フェス」参加記事です。
記事中の写真は、養源院公式パンフレットを除きすべて筆者が撮影したものです。無断転載を禁じます。
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