赤字、、、! 借金、、、!
誰もが聞くのが嫌なフレーズかもしれません。学校教育では借金の恐ろしさを説かれ, 破産申請など暗いワードが飛び交う世の中です。
某会長もこのようなことを言っておりました。
借金における誠意なんて、これはもう誰が考えたって一つしかないのだ…内臓を売ろうと、強盗をしでかそうと…何をしてもいいから、要するに…期限までに金を返すことだっ…!
しかも最近では, 「政府赤字が1千兆円を突破」などというパワーワードで溢れています。
先日の記事では「財政赤字は問題ない」という話でしたが, これだけ煽られるとなかなか平静を保てそうにありません。
「赤字=悪」という沁みついた価値観はなかなかにぬぐえないのです、、、
それでは, 政府はやっぱり黒字のほうが望ましいのでしょうか?
ここで一つ思考実験をしてみましょう。
東洋の島国であるJ国は, 世界大戦敗戦のショックから立ち直り, 貿易大国として名を馳せていました。「ものづくり大国」として, 高い技術をもとに貿易高を増やしていくJ国。豊かになるにつれて, 政府も積極的に国民を支援していく, 「大きな政府」へと変貌していきます。
しかし, だんだんと周囲の状況がざわつき始めます。隣国C国やK国が, 高い技術力と低い人件費で製造した製品で殴りこみに来たのです。今まで高い技術力で勝ち抜いてきた市場も, なかなか勝ち抜くのがハードな状況となってしまいました。
そこでJ国は, これまでの「大きな政府」の路線を維持できなくなり, 「緊縮財政」へと舵を切ります。自由化の合言葉のもと, 国民への支援を次々打ち切っていくとあら不思議, 国家の財政の黒字化に成功したのです。
めでたしめでたし。
ここで考えるべきは, J国が「健全な財政」を目指すため, 誰を犠牲にしていったのかということです。
今回の例でいうなら, 貿易大国として名を馳せていた時は「外国」に, 緊縮財政を敷いていた時は「国民」を, それぞれ犠牲にしています。
つまり, 鎖国状態でなければ, 政府と国民と外国に次のような関係が成り立ちます。
国内民間収支+国内政府収支+海外収支=0
これはつまり、誰かが黒字になるには誰かを赤字にしなければならないということです。
結局ゼロサムゲームなので、誰かが幸せ(黒字)になるには、誰かが不幸(赤字)にならなくてはいけない。
それでは、いったい誰が不幸を被るべきなのでしょうか?
答えは当然「政府」、詳しく言うなら「自国通貨を発行できる政府」です。
「自国通貨を発行できる政府」は、「赤字=不幸」という原則が通じない唯一の主体なんですね。
今回のまとめとしては、、、
①誰かの黒字は誰かの赤字である。
②自国通貨を発行する政府は「赤字=不幸」という図式が唯一成立する主体である。赤字を被るなら政府が望ましい。
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