シン・エヴァンゲリオン劇場版(正式名称は、この後ろに記号が付く)が公開されている。ついに25年の時を経てシリーズが終結するらしい。
さて、個人的には、エヴァに関して25年前から引っかかっている最大の謎は、「チルドレン」なのである。多くの人は、もっとメジャーな謎に関心を持っているのだと思うが、一応英語関連の生業をしているものとしては、やはり「チルドレン」を一番上に持ってきたい。
あ、以下は、劇場版でもこの謎は解明されていない、という前提である。多分、されていないだろう。
<何で一人でも"Children"やねん>
謎といっても、話は単純で、「なぜ一人一人のエヴァ・パイロットが、単数形の"Child"でなく、"Children"なのか」に尽きる。これについては、1990年代当初からひととおり議論はあり、「庵野監督は英語が苦手なのだが、文法的におかしいと指摘する勇気のあるスタッフが誰もいなかったのでそのままになった」などの説が確か唱えられていたように思う。(いくら何でもこの説は監督に失礼か・・・)
しかし、決定的だったのは、公式英語版のビデオで、"The Third Children has arrived."という使い方がされていたことであった。つまり、Chilrenは単数形として堂々と登場していたのである。これにより、個々のパイロットについても意図的に日本語で「チルドレン」を使い、それを英語でも踏襲するようにという意思が庵野監督(またはGainax)にあったという可能性が濃厚となった。
ちなみに、まだアマゾンで海外のビデオが手軽に入手できるような時代ではなく、私は確か米国に行った時にビデオを入手したと記憶している。
さて、これを受けて、私は当時、英語の文法との整合性を考えると、次の説明しかない、という結論に達した。
「エヴァにおける『チルドレン』は、Childの複数形ではなく、Childrenという別の名詞(造語)であって、この名詞は単複同形である」
すなわち、sheepやfish、deerと同じ用法を取る名詞ということである。
当時、「2ちゃんねる」はまだ出来ていたかどうかの時代で、こういった議論がどこで行われていたか記憶は定かでないが、確か、上記の説に対しては「パイロットが複数いるからチルドレンでいい。そんな簡単なこともわからないのか」などという、そもそも何が問題かすら理解していない的外れな批判も寄せられてがっくりした。しかし、私としてはこれで決着が付いたと考えた。
<四半世紀を経てよみがえる謎>
さて、私自身は劇場版「Air/まごころを君に」を最後にエヴァへの関心が失せた。新劇場版シリーズも、最近になってテレビ放映されたのをざっと見ただけ。
しかし、ようやく同シリーズが完結し、エヴァがついに終わるというのだ。前作「Q」から8年かかった苦悩は、先日のNHK「庵野秀明スペシャル」で描かれていた。こういう上司の下でもし働くとしたら、たまったもんじゃないな、と思いつつも、「上にはへつらい下には怒鳴る」「手柄は自分のもの失敗は部下のせい」、という一般的サラリーマン上司よりはいいのかも、と思ったりもしながら、庵野監督に敬意を表し、「チルドレンの謎」をおさらいしてみようと思いたったのである。
そして、1990年代の自説をひっくり返す事実を見つけてしまった。(すみません、以下、コアなファンにはとっくに既知のことかもしれません)
それは、英語サイト(EvaWiki)にあった。英語圏でもかなりの人気を獲得してきたエヴァなので、当然「チルドレン」に疑問を持った人は多かったようだが、なんと、「英語では不自然に聞こえるから」、英語版では、一人一人のパイロットについては、"Child"に変えていると言うのだ。
"The term is used even for a single pilot, hence Shinji Ikari is the "Third Children". The original Japanese dub of the series intentionally used "children" plural, and it is not a translation error. However, the official English dub by ADV films changed this to "Child" (i.e. "Third Child"), as they felt it sounded unnatural in English." (https://wiki.evageeks.org/Children)
Wikipediaによると、当初の英語版VHSビデオは1997年から98年にかけて発売された。私が昔見て"The Third Children has arrived."を確認したのはこれに違いない。しかし、米国や欧州での発売元ADV Filmsは、その後"The Third Child has arrived."に変えてしまったというのである。この記事には、当初の英語版ビデオのことは触れていないが、かつては間違いなく"Children"を単数名詞としても使っていたのである。
そして、上記記事の脚注には、なぜもともと「チルドレン」を使ったのかについて、別サイトに載っている一つの説が紹介されている。
According to a Evangelion date/address book, as Rei was not one child, but several identical clone children, she was referred to as the "First Children." It is surmised that to protect/hide this information, following Evangelion pilots were referred to as the "n-th Children". (https://web.archive.org/web/20111002185656/http://eva.onegeek.org/pipermail/oldeva/1999-November/032029.html)
つまり、「ファースト・チルドレン」である綾波レイは、1人の個体ではなく、数多くのクローンを指すため、複数形で呼称した。ただ、クローンであるという情報を秘匿するため、「セカンド」以降のパイロットについても同様に「(第何番目の)チルドレン」と呼ぶことにしたと推察される、と。
この説の後半部分は説得力に乏しい。レイがクローンであることを隠したいなら、わざわざ複数形で呼称せずに、最初から「ファースト・チャイルド」と言えばいいだけのことであるからだ。しかし、前半部分は結構核心をついているように思われる。
ところで、この"a Evangelion date/address book"とは具体的に何なんだろう。ちなみに、aではなく、anとすべきだ。
<最新説>
ということで、2021年4月現在、「チルドレンの謎」についての私の仮説は、次のとおりである。
「庵野監督は、綾波レイが多数のクローンであることを念頭に、その事実がまだわからない物語当初から個々のパイロットを『チルドレン』と意図的に複数形で呼んで、『伏線』を張った(『セカンド』以降についてはあまりにも無理があり、英語の観点から正当化するには、『単複同形名詞造語説』しかないのだが)。しかし、英語圏においては不自然すぎるので、途中からあっさり"Child"に修正されてしまい、泣く泣く容認した。または反対したが、契約上無理強いできなかった。当初の英語版は、米国で翻訳を担当したヲタクたちが、庵野監督に心酔して"Children"を使ったが、英語圏でこの表現を使い続けるのはやはり無理だった。」
可能ならば、庵野監督自身に真相をお聞きしたいところである。というか、これまで聞いた人はいくらでもいると思うのだが、確定的な答えが世間に出回っていないということは、本人が明確に答えていないということだろうか。
ともあれ、今回は映画館に出向いて、シリーズの終結を見届けようかと思っている。
<4月11日追記>
EvaWikiの上記"Children"記事に重要な記述があるのを見逃していた。
In the Rebuild of Evangelion series, the expression "(n)th Children" is not used. Instead, the pilots are referred to in terms such as Ichibanme no tekikakusha (一番目の適格者, "The First Qualified Person/Candidate") Dai Ichi no Shōjo (第一の少女, "First Girl"), Sanninme no kodomo (三人目の子供, "Third Child"), or Dai San no Shōnen (第三の少年, "Third Boy").
The Rebuild of Evangelion seriesとは、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」のこと。すなわち、もはやこのシリーズではエヴァ・パイロットを指す言葉としての"Children"は使われていない、というのだ。だから、「序」公開の2007年で、すでに「チルドレン」は消滅していたことになる。オリジナル日本語版をすべてチェックする気力はないので、自分で確かめたわけではないが、おそらくそうなのだろう。
なので、上述の仮説の末尾に次を付け加えたい。
「そして、新劇場版では、『チルドレン』を使うことを当初から断念した。世界での展開に配慮した判断だったのかもしれない。」