最近、老後2000万円がどうたらとか将来の年金がどうたらっていう、「将来」を心配させようとするニュースをよく見かける。そして、よくわからない人が不安になったり心配したりするというのをよく見たり聞いたりする。
意外と「将来」のことを心配している人が世の中にはいるので説明すると、当たり前のことだが、「お金」はモノやサービスを売買したり交換したりするためのツールでしかない。お金自体に「絶対的」な価値はない。みんなが価値があると信じている間だけ価値のあるもので、現在の日本円は米ドルが基準となった「相対的」な価値しか持っていない。だから、日本円を2000万円もっていようが1億円もっていようがが「将来」の生活の保障など確保できないし幻でしかない。「生活の保障」なんてどれだけ走っても手に入れられない空想上のものなので、さっさと諦めましょう。
もう少し説明すると、「みんなが価値があると信じている間だけ価値がある」というのが重要で、今使われている札や硬貨を持って50年前にタイムスリップしても札や硬貨はただのガラクタであり、50年後にタイムスリップしても同じことが起こる。世の中の変化のスピードが上がり続けていることを踏まえればたった20年後(2040年)でも同じことが起こっているかもしれない。みんなが日本円の価値を信じなくなってビットコインとか暗号資産(仮想通貨)へ移行するかもしれない。ひょっとすると、今もどこかの誰かがブロックチェーンよりも有用性のある別のテクノロジーを開発中で、それがグローバル通貨として普及する未来があるかもしれない。だから将来なんて誰にもわからない。
もっというと、お金を介さずに価値を交換する手段は増えていくから、「将来」のためのお金の心配は不要だと唱えたい。ポイントで買い物をするのもそうだし、友達の人生相談をしてあげるとかもある意味でお金を介さない価値交換である。話を聞いてあげたり自分の経験値を相手に与えりすることで、そのお礼にご飯を作ってもらうとか。他にもお金を介さない価値の交換は多種多様であり、自分の中でそっちの多様性を増やすほうが変化のある毎日を送れるとおもう。
それよりも、今現在の、日本国債の膨張とか、万札の刷新のこととか知っておいた方がいいんじゃないかな。将来とか曖昧なものじゃなくて目の前のこと。
くわしいことはわからないけど、日本円は海外通貨より評価されているから借金しやすいという側面はあるだろう。だから、日本が借金をどれだけしても大丈夫という人もいる。たしかにそうかもしれない。でも、そもそもグローバル化が加速し、国を越境した活動が増え続け、「国家」の存在価値が薄れていけば国家がコントロールする法定通貨(日本円とか米ドルとか)の価値は相対的に下がっていくことも考えられる。
また、万札の刷新後に「新札以外は使えません」ってなったら、(紙幣で大金を持っている人はそんなにいないだろうが、)旧札は紙切れ同然になる。そんなことはあり得ないと考える人もいるだろうが、万が一、経済の歯車が狂って日本円がハイパーインフレにでもなったら日本でもそういう禁じ手を使うことがあり得てくる。可能性の話だが。
そんな感じで、世の中なんてこれからどうなるかなんて誰にもわからない。だから、「将来」のために「お金」の心配をするのは、ボーッとしながら寿命を縮めているのと同じではないかとおもう。