同じ悩みを持つ人へ
私は、文字を書くのが苦手な子どもでした。
実は今でも苦手なので、過去形でいうべきではないかもしれないけど。
ここでいう文字を書く、とは
ことを指します。
小さい頃の記憶なので、あんまりはっきり覚えていませんが、親が
「小学校にあがるのに自分の名前くらい」
と思い書かせたものの、嫌すぎて泣きながら書いていたそう。どんだけ嫌やねん。
ちなみに字を読むスピードには問題がありませんでした。いや、むしろ同級生と比べてもかなり速かったと思う。国語の教科書はもらったその日に全部読んで、明日から何するんやこれ、、、と疑問に思っていました。
ただ、はっきり覚えているのは
ということ。
何せ全てのアウトプットが手書きです。
きつかったのが漢字ドリルと作文。
あ、夏休みの日記もきつかったな。
結果、夏休みの宿題はやらずに登校する、という選択肢を選ぶことに。そういやよく廊下に立たされていたな、なんでか忘れたけど。
とにかく
のような気持になっていたあの頃。どんな子どもやねん、と思いますが本気でした。そのくらい、字を書くことがストレスになっていたのです。
さて、字を書くのが得意な方にとっては、読めるのに書けないって現象が理解できないかもしれません。なぜそんなことが発生するのか?
いろんなパターンがあると思いますが、私の場合は、
1)手先が不器用
まず、手先が不器用なので、鉛筆がちゃんと持てません。線がまっすぐ引けません。そして引いた線が自分の脳内のイメージと一致しません。ついでに空間認識能力が低いのか、5文字書かないといけないのに2文字でスペースを使い果たしたりします。
この時点で挫折します。
2)思考があわてんぼう
頭の中に文章があったのに、書いている途中で気分が変わる、思いが先に走りすぎて文字をスキップする、といったあわてんぼう現象が発生。面倒になり画数のすくないカタカナを混ぜ始め、前後の文字が混じります。(これは今でもある)
自分しか理解不能な怪文書が誕生。
3)書き順への嫌悪
書き順が異常に苦手でした。たぶん、文字を線のあつまりではなく文様として認識していたのでしょう。そのせいか、字が字の様相を呈していない。高校生くらいまで"様"という漢字の羊の部分と水の部分の縦線がつながらずガタガタだったし、"必"って字も謎な書き方していて「図形?」って聞かれたことが。
どうやって書いてたんだろ、、、
以上3つが課題でした。
とはいえ当時はそんな分析をしてくれる人がいなかったので、今になって思えば、ですが。
と、ここまでは単なる思い出なんですが、
世の中にはわりと同じ悩みを持つ子どもがいるそうです。そしてそんな子どもを持つ親として悩む方も多いそうです。
私は字を書くという行為がネックでしたが、字の認識にそもそも問題がある方もいます。前後の文字がかぶって見えちゃったり。言葉の理解には問題がないのに、文字で苦労されている方って、案外多いんじゃないでしょうか?
下手なことは言えません。
でも、あまり思いつめないで、と思うのです。
まず、歳をとると何とかなったりします。
私は中学くらいでだいぶましになりました。
ただ、英語のアルファベットが出てきたのでそっちで苦労しました。dとbが書き分けられず、doesを全てboesと書いて衝撃の点数をいただいたりしてました。それも高校生になるころにクリアしていました。個人差が大きいですが、少しづつ進歩したりするものです。
ちなみに字の美しさは、大学生くらいの時に驚異的にうまくなり、集中して書くと「ただの字が下手な人」レベルになりました。
次に、技術の進歩のおかげで手書きの機会が格段に減っています。
大学からパソコンがメインで授業が進むようになり、いやー、、、天国。パソコンを作った人、スマホを作った人、さらには音声入力を作った人は私の生活の質を格段に上げてくれました。現代に生まれて本当によかった。
社会に出ると手書きの機会はさらに減ります。そして(業界にもよりますが)無茶苦茶手書きが汚くても何も言われません。社会人万歳。
最後に、文字が書けないのはあなたのせいでも子どものせいでもありません。
この現代社会で、アウトプットをする手段など山のようにあります。教育機会の平等をうたうならアウトプット手段くらい複数用意してください、と主張していいと思います。
私たちの人生は平等ではない。
けれど、権利を主張する権利だけは平等にあるはずです。
つらつらと思うことを書きました。
今でも自分のとった手書きノートは他人に理解されません、ご祝儀の表書きは超緊張します、結婚式場の記帳は泣きそうになります。
それでも楽しく過ごしています。
みんな苦手なことって、あるよね?
MALIS