ご覧いただきありがとうございます(^O^)
高校数学教師(宮城県)を退職し、全国のデモクラティックスクール、北欧デンマークの教育を学んだ後、仙台から教育革命をしている伊藤真結です。2020年4月からAKIU SCHOLĒ(アキウスコレー)という新しい学校🏫を仙台市秋保町に創っています。
全日制の学校に行っていても、通信制高校に行っていても、不登校でも、全ての中高生が、自分の選択で自分の人生を切り拓く力を育みます。
個別の授業対応なども行っている公式ホームページ
≪ 伊藤真結OfficialWebsite ≫
伊藤真結の応援はこちらから≪🎪 MAYU’s SCHOLĒ 🎪≫聴くブログはこちらから
AKIU SCHOLĒ は現在生徒を募集しています!
詳細はこちらをご覧ください。
5月9日(火)
晴天の仙台でした☀☀☀
今日は、冒険の書レビュー8日目、
いよいよ終盤です。
そんな今日は、
「無縁社会」で起こること、について書いていきます
冒険の書の著者である孫泰蔵さんは、
以前、色々な高校や大学で「起業論」という講義をされていたそうです。
そこで話されていたことの一部が、冒険の書の273ページから書かれています。
ここは是非、読んでみて下さい。
そこで、孫さんがその講義で最も伝えたかったこと、
について触れられています。
それは、
「自分の人生についてちゃんと自分で考えよう」
ということ。
『自分の頭で考え抜いて、自分で決めていれば、
どんな困難があろうとも誰かのせいにすることなく、自分で乗り越えていくことができる。』
ということを、講義で何度も語りかけてきたそうです。
この後に触れられているのが、
日本の新社会人や大人たちの
「何がしたいのか分からない」
という現実。
子どもの頃には、
やりたいことだらけだった人もいつしか、
やりたいことを見失うという、こうした現実に対して、
この現実が生まれる理由に、
他でもない、教育や社会の環境がそうさせているのだ、
と指摘しています。
284ページに、こういった現実が生まれてしまった原因について、
こんなことが書いてあります。
等価交換をよしとする社会では、人は誰にも頼りません。
そういうと寂しい社会のように聞こえますが、
誰にも頼らない社会というのは、面倒くさいことがない社会とも言えます。
むしろ、そんな世界を「しがらみのない自由な世界」ともてはやしてきました。
そうして、世界中の誰とでも取引ができる究極に自由な社会、
いわゆる「グローバル資本主義」をつくりあげてきたのです。
一人で生きていけることこそが、真の意味での「自立」なのだと信じ、
自立していることこそが本当に自由な人間に必要なことなのだとうそぶく。
誰にも頼れないから、ふとした時にすごく不安になることもあるけれど、
その不安は「自由の代償」だと自分をごまかし、
我にかえって他人に自立を求める。
それが今の「大人」たちの姿です。
こんな社会だから、
自分がなにがしたいのか、なんのために生きるのかが分からなくなる。
人は独りでは生きていけない、
これはもう、生きていれば誰もが必ず聞くフレーズのはずだけど、
意外と長い間、この本質から離れ続けてきたのかも、と思います。
田舎のしがらみ、面倒くささ。
これにはもう本当に苦労してきたであろう親世代があり、
それを見て、人々は田舎を離れて都市に住むようになりました。
子育ては何世代も集まってするものではなくなり、
家族のカタチはどんどん孤立していっています。
関わる人が多ければ多いほど、
そこには誰かの「困りごと」があって、
例えば、年下の弟や妹の世話、
一人っ子でも、
近所付き合いの中で生まれる年下世代のお世話とか、
誰かの手伝いとか、些細なことでも、
何かをして「ありがとう」を言われた経験、
自分の何かを「与える」ことで出来た人との繋がりに、
特別言葉にしなくても、
人の心は支えられ、豊かになっていたんだと思います。
人間の本質は、
「真似る」ことであり、人はそうやって育っていきます。
そして人は、生まれた時完全に無力なので、
自分に何かをしてくれる周囲の人の姿しか知り得ません。
つまり、人は、与えることしか知らない状態から、
与えることを真似ることから、始まるのだと言います。
これは日本の教育者である齋藤賢爾(さいとうけんじ)さんの著書、
『信用の新世紀』に書かれているそうです。(冒険の書P.289)
人に与えること、
その本質からずれた今の社会の冷たさが、
「優しい人が優しいままでいられない」
そんな現実も、生み出してるような気がします。
ということで、
今日は、「無縁社会」が生み出す寂しさや苦しさについて書きました。
それでは、
今日も読んで下さって
ありがとうございました。_(._.)_✨