
2月3日(水)
立春、今日は晴れて、なんだか立春らしかったです。(*^^*)
さて、今日は授業多めの1日。
水曜日は、よくよく数学に向き合います。
このブログをいつも読んで下さっている方は周知のことですが・・・
私は数学が、大の大の苦手でした。
今も、数学の先生の中ではきっと相当、
一番苦手です。笑
苦手なんだけど、
すごく好きなんです。
数学力とは、
情報整理力×構想力×説明力×対話力×寛容力×ブレない力
です。
でも、
タイムリミットのある入試では、
今でもきっと時間切れで、満点は取れません。
(共通テストなんて、あんなに読まされたら当時の私は秒殺です。(´゚д゚`))
タイムリミットさえなければ、
ずーっと解いていていいならば、
解いている時間はとっても楽しいです。
そして、
高校では倫理を選択しなかったけれど、
今は、哲学がすごく好きです。
数学と哲学は、
私の軸となる学問になっています。
こんな本があります。
数学と哲学、
一見離れているようにも見えますが、
数学者であり哲学者
である人は、古代ギリシャからとっても多いんです。
そうそうたるメンツです。
ピタゴラス(三平方の定理)
デカルト(x軸とy軸)
ライプニッツ(微分積分)
アルキメデス(アルキメデスの原理、球や円)
・・・・
一度は聞いたことがある名前だと思います。
必要があるのかないのか分からない事柄について、
考えつくした人たちです。
それが、数学であり、哲学だと思っています。
必要があるのかないのかなんて分からないけれど、
結果どちらも、
現代には特に、必要な学問だと私は感じています。
最も多くの人が聞いたことのあるであろう
ピタゴラスさんは、たくさんの言葉を残していますが、
例えば、こんなことを言っています。

「そう簡単なものは何もないものだが、
あなたがそれを渋々やる限り
それは難しいものになる。」

何にもまして重要なのは、
あなた自身を敬うことだ。
数学って、嫌われがちな学問で、
私もその一人だったけれど、
とっても体温のある学問だなと思ったのは、
たくさんの数学者の人たちが、
とても人間的だと感じたのがきっかけでした。
アインシュタイン博士も同じ。
とてもユーモアに溢れ、人間的なんです。
そんな、数学苦手な数学教師の私の数学の授業では、
本当によく、対話を重視します。
小学生の算数でも、中学生の数学でも、高校数学でも、
そのスタンスは変わりません。
「それって本当にそうなの?」
「それはまだ、そうとは言えなくない?」
「・・・あれ?そうだっけ?www」
私自身も、
答えを“分かり切っている”という位置には決して立たず、
一緒に思考の道を辿るので、
たまに、まじでよく分かんなくなります。
でも、それが、面白いです。
人生のことを話すときも一緒です。
「それって本当にそうなの?」
「それはまだ、そうとは言えなくない?」
「・・・あれ?そうだっけ?www」
「なんで?なんで?」
を問い続けることが、
生き続けることです。
◎生きる思索としての学問
古代ギリシャにおいてほぼ同時期に成立した数学と哲学.
今日ではその歴史すら忘れ去られるほど両者は掛け離れて見えているが,
《実用的な解決では満足せずに,根源的な思索をこそ重視する》という点で,
実用性,利便性が支配的な価値観となっている現代においては,なお一層,
隠れた親近性のある世界である.
数学なくしてはあまりに脆い(もろい).
哲学なくしてはあまりに蒙い(くらい).
数学者と哲学者の緊張ある対話の中に,現代人が見失いがちな知と魂の火花がある.
生きる思索としての学問がある.
そんな数学の授業は、
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タイムマシンがあったら、
古代ギリシャに行きたい。笑
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