
ちょっとやそっとじゃ休まないのが日本人です。
この本の最終章では、
身体と調和する生き方について
書いてありました。
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「体の言うことはいったん正しいと考えてみる」
近代以降、人間の捉え方においては、
頭、脳が一番上位の存在であり、
身体はそれに従う下位の存在であると思われていました。
要は、“頭の方が偉い”だったのです。
しかし、直近の研究では、内受容感覚という身体的な情報が、
感情のもととなっており、私が私であるという自己の感覚の大元であり、
更には、経験的な意思決定の源泉になっているということが分かってきました。
頭と体というのは、私たちが考えているよりも、
ずっと対等な関係なのかもしれません。
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これは養老先生がよく言っていることです。
今の社会は、身体を無視した、「脳化社会」だと。
ちなみに、頭、脳を駆使しまくっているのが、
哲学や数学ですね。(笑)
お腹が痛い…でもやらないといけないから仕事をする
頭が痛い…でも行かないといけないから仕事に行く
身体は常に、サインを出してくれています。
でも多くの人が、身体より、脳を優先します。
「そうはいっても」というのが現実ですが、
いつもじゃなくても少しずつでも、
「身体のサイン」をちゃんとキャッチして
身体が喜ぶことをしてあげることが
大事なことだなと思います。
身体が悲鳴を上げているのに、
休むことに「罪悪感」があるなんて状況で頑張り続ければ、
麻痺して、取り返しのつかないことになってしまいます。
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ちなみに、数学や哲学は脳をフル稼働させますが、
「対話」については、その限りではなくて、
むしろ身体感覚を大切にするものでもあります。
考えないで、今自分にどんな感情が沸き上がったか、
お腹が痛い、腰が痛いも含めて、
身体の状態も大事にします。
まさに、自己受容感覚を大事にするものです。
だから、その瞬間湧いた、
“どうしてかは分からないけど、
なんか、嫌。”
それもすごく大事です。
根拠が明確に言えないのならダメ、
なんてことはありません。
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当たり前だと思ってる社会的役割、
「母親」「父親」「こども」
「先生」「生徒」
社会的な動物である人間には、
気付いた時にはこうした色んな「役割」があって
みんなそれを一生懸命演じるようになります。
その役割を外した時に、
何を思って何を感じるか、
今、身体がどんなサインを出してるか、
大事に出来るといいです。
私も改めて、
体の言うことは、いったん正しいと
考えてみようと思います。











