6歳の時、三郷団地に住んでいた。
俺は、ここの3街区の「3-5-303」に暮らしていた。
この団地の目の前には、大きな公園がある。
近所の子たちは、全員ここで遊ぶから親たちもすぐに様子が見れて安心。
たまに親に怒られて、ベランダに出されている子供を見る。
ベランダに出された子は、大泣きしているからスグに見つけられた。
こうなると、公園で遊んでいる子たちに丸見えだった。
親に怒られている子は、泣き声と泣き顔を大勢の子に晒されて恥ずかしい。
親は、これを狙って子供をベランダに出す。
このエンターテイメントは、毎日交代で行われていた。
この頃は、もう普通の事でみんな気にしなくてっている。
体罰の一環で子供をベランダに出して恥をかかせるのだろうが効果がない。
俺も、例にもれずよく大泣きしてベランダに出されていた。
この時は、公園中聞こえるほどの大声で「窓開けてー!」と叫んでいた。
でも、泣き止むまで窓を開けてくれない。
これが、この頃住んでいた団地の公園の日常風景だった。
夏のとある日、父親が花火をたくさん買ってきた。
次の日の日曜日に、目の前の公園で花火をしようという事だった。
買ってきた花火は、子供向けの花火のセットが沢山あった。
ロケット花火、打ち上げ花火、煙玉花火、ねずみ花火、線香花火。
昔は、定番だった花火を網羅していた。
そして次の日の夕方、早速公園で花火をする事になった。
近所の子供たちが沢山遊んでいる。
父親は、その子供たちを全員呼び集めた。
そして、みんなで花火をやるつもりだ。
最初、皆にロケット花火を渡して全員でその花火を打ちまくる。
当然子供達は、人に向けて発射するが全然当たらない。
ロケット花火は、まっずぐ飛ばず曲芸のように飛んでいくからだ。
でも、そんなこと構わず全員人に向けて発射しまくり楽しんだ。
次は、打ち上げ花火を2,3個並べて次々に火を付けていった。
打ち上げ花火が上がった先には、花火が爆発しない。
その代わり、重りがパラシュートを広げ落ちてくる。
我々は、このパラシュートをこぞって取り合いをした。
父親は、構わずどんどん打ち上げ花火に点火していく。
空には、無数のパラシュートが展開されていた。
この時ふと父親の方を見ると、50個位打ち上げ花火があった。
父親は、この花火に狂ったように点火していっていた。
おかげで皆、息切れしても走り回ってパラシュートを捕まえてる。
この頃の子供たちは、本当に限界が無い体力を持っていた。
その空には、綺麗な青空と大きな雲と大量のパラシュートが広がっていた。
打ち上げ花火を全部点火し終わった頃、父親はクタクタに疲れた様子。
そして、その場に座っていた。
ご苦労様。
残りの花火は、この後みんなで好きな物を取って自由にやった。
皆が手にした花火は、線香花火と、ねずみ花火。
女子は線香花火をやり、男子はねずみ花火をやる事になった。
もちろん男子は、ねずみ花火を投げ合って遊んでいる。
投げて地面に落ちると、そのばで気が狂ったように色々な方向に回転する。
それが楽しくて、キチガイの様にみんな楽しんでいた。
そして、ねずみ花火と線香花火を全部やり終えしまった。
この時、煙花火をまだやっていない事に気が付いた。
煙花火は、爆弾のように丸く導火線が出ている物。
この煙花火を貰う為、父親を捜したら遠くのベンチで寝てしまっていた。
そして煙花火は、なぜか父親の足元に袋に入れて置かれていた。
俺はこの袋を勝手に持って行き、みんなでやる事にした。
煙花火は、全部で10個ある。
我々は、袋に入った煙花火を取り出しマッチで一斉に火を付けていった。
そうしたら、1個当たりの煙花火の煙の量が想像以上に多い。
もうあたり一面カラフルな煙だらけで覆われてしまった。
太陽の光も届かなかった位だ。
この煙の量で父親が目を覚まし、第一声が「しまったー!」だった。
そして「煙の量が多いからやめようと思っていたのに!」と声がした。
父親の声とは裏腹に、辺り1面カラフルな煙だらけで手遅れだった。
俺はこの時「じゃぁ何で煙花火を買ってきたんだ?」と思った。
父親の言ってる意味が解らない。
そしてしばらくこの公園は、煙の公園と化していた。
この後父親に何で煙花火を買ったのか聞いてみた。
そうしたら花火を選んでくれたのは、駄菓子屋のおばあちゃんらしい。
この時父親は、煙花火がある事を知らなかったという事だ。
でも俺は、猛烈に楽しめたから全然良かったんだけどね。