10歳の時。
俺は、ゲームが超大好きだった。
宿題を一瞬で適当に終わらせ、すぐファミコンを始めた。
でもゲームが出来るのは、1日1時間のみ。
全然ゲームをやり足りない。
そんな時は、友達の家に押しかけてゲームをやっていた。
実は、これだけゲームをやっても、俺はゲームをやり足らなかった。
そんな時は、夜中にこっそり起きてゲームをする。
もちろん音は、消してやっている。
両親に見つかったら、絶対怒られるからだ。
ゲームをやるのは、家族が寝た深夜0時から2時頃まで。
ゲームをやり足らない気持ちを、この時間で埋めていた。
深夜2時になれば、さすがに眠くなってゲームをやめる。
そんな日々が続いていた。
そんな中たまに、父親がトイレに起きてきた時、見つかってしまう。
その時は、毎度鉄拳パンチを食らっていた。
でも、それにも懲りず、あの手この手を使いこっそりゲームをし続けた。
ある日父親が、深夜こっそりやる程ゲームが凄く好きなのか?
そう聞かれたから、死ぬほど好きだと答えてみた。
そうしたら、呆れた顔をされて何も言ってこなかった。
でも次の日、父親が仕事から帰ってきて、お土産を持って来てくれた。
それは「コモドール64」と言うパソコンだった。
でも9歳の時、既に「MAX-machine」と言うパソコンをくれた。
なので今回で、2台目だった。
「MAX-machine」は、Dos-vを覚えたが、性能が悪くて使えなかった。
そして、ファミコンが手に入ったから、そのまま放置してしまった。
でも「コモドール64」は、凄く性能が良い。
フロッピーディスクもあり、カセットテープ型のHDDもついていた。
このHDDは、今はもう見る事が出来ない「データレコーダ」と言う物。
俺は、本格的なパソコンに目を輝かせてすごく喜んだ。
父親に、これ高かったんでしょ?
と聞いてみたら「会社からパクってきたからタダだ」と言っていた。
俺は、この返答に全く違和感を覚えず、父親が立派に感じてしまった。
やるじゃん!父親!
俺は、早速コモドール64の性能を確かめる為に、Dos-vで動かしてみた。
そうしたら、何だかうまく動かない。
説明書を見てみたら、昔のDos-vとは、全然違っていた。
Dos-vが、バージョンアップして、進化しているようだった。
仕方ないので、説明書を見ながらもう1度Dos-vを勉強してみる事にした。
でも、説明書に書いてある事が難しくて理解できない。
それどころか、漢字すら読めなかった。
親に説明書を見せて、解るように説明してくれと頼んでも、無理だと言う。
父親も母親も、パソコンには全く興味が無く、チンプンカンプンのようだ。
そこで色々悩んでいたら、ある事を思い出した。
それは、親戚にパソコンが得意で、博士号を持っている人を思い出した。
でも、出来ればその人には頼りたくなかった。
それは、超天才だが、人間性がぶっ壊れているから関わりたくなかった。
しかし、もうその人に頼るしかないと思い、電話をかけてみた。
そして本人が出て、いきなり俺にC言語の開発物語を語り始める。
俺は、この理解できない話を、いやいや30分位聞いた。
その後、やっと本題の説明書では理解できない事を伝えられた。
そしたら、Dos-vを解りやすく説明した本があると言う。
それを、我が家に送ってくれる事になった。
送られてきた本を読んでみたら、もの凄く解りやすい。
10歳の俺でも十分解るように書かれていた。
俺は、この説明書に感動して、どんどんDos-vを覚える事が出来た。
俺がパソコンが好きなのは、アニメを作りたいと思っていたからだった。
でも当時のパソコンでは、アニメを作るどころか、絵をかくのも困難だ。
今の物より、遥かに性能が悪く、色も256色しか出せない。
しかも複雑な絵をかくと、メモリーが少なすぎて表示できない。
しかし、この本には3色や4色で絵をリアルに描く方法も書いてある。
俺は、この本のおかげで、もの凄く勉強ができて助かった。
ある時、この本をくれた親戚の人に、この本の著者を聞いてみた。
そうしたら、俺と同じ10歳の子供だと言う。
俺は、凄くビックリした。
親戚の人が「その証拠に10歳の君でも簡単に理解できただろう?」と言う。
確かに、同い年の子が書いたのだから、解りやすいのが当然の結果だった。
どうりで、大人が書いた説明書と比べて、次元が違う解りやすさだった。
逆に、同い年でも世界が違う程の天才がいる事を、初めて理解した。
こんなに解りやすく説明書を作れるなんて、次元が違いすぎる。
俺は、この説明書を作った子を本気で尊敬できた。
そして、この親戚の人みたいな人格にならない事を祈った。