(前回のあらすじ:
意識の盲点は無意識層の情報の取捨選択により生じる。
無意識が必要ないと考えている情報は意識の盲点に追いやられる。
では盲点にアクセスするにはどうしたらいいのか?)
今のところ私が知っている
「意識の盲点にアクセスする方法」
は以下になります。
①他人の視点に触れる
②自分の無意識を意識層に引っ張り上げる
③アファメーションをする
④無意識の力をかりて無意識を書き換える
少し時間はかかりますが、
それぞれについて何回かに分けて、
簡単に説明させていただければと思います。
興味のある方は
読み進めてみてください。
(ただし私は専門家ではないので、
どうぞ話半分程度でお願いします)
①他人の視点に触れる
前回の記事で私は
「意識は、無意識が当たり前と捉えている
世界しか認識することはできない」
と述べました。
しかしもちろん、
私の無意識の当たり前は
あくまで私の無意識の当たり前であって、
他人の無意識の当たり前とは異なります。
だから他人の当たり前に触れた時に、
思わずハットさせられたり、
目の前がパッと開けるような、
・マインドブレイク
・パラダイムシフト
と言ったものは
誰しも一度や二度は経験したことが
あるのではないでしょうか?
個人的な例をあげさせていただくと、
・「なにかを上達する」には、まず「上達することを上達する」こと。
・「何をやるか」と同じくらい「何をやらないか」が大事。
・「論理」も不完全である。
(科学の世界ですら、論理という枠組みでは扱えない問題もある)
といった、誰かの当たり前に触れたときに
マインドブレイク・パラダイムシフトが起こり、
世界が少し違って見えてきました。
本当に色々です。
歴史的な観点でみれば、
・「ゼロの概念の発見」や
・「西洋文化と東洋文化の出会い」
がそれに当たるでしょう。
そして意識の盲点に気づく瞬間もさまざまです。
何気ない友人との会話で気づくこともあれば、
偉い人の話を聞きに行って気づくこともあるでしょう。
かつての日本人のように、
外国人が日本にやってきたことで、
世界基準でみたとき、自分たちの文化が
いかに遅れているかを知ることもあります。
(ちなみに漫画や小説では、
意図的に読者の中に意識の盲点を作りこみ、
ストーリーの中でそこにアクセスすることで
読んでる側をハッとさせたりしています。)
(ご存知の方は進撃の巨人を
思い浮かべてみてください)
何にせよ大事なのは、
「他人の当たり前に触れることで、
自分の意識の盲点のありかに気づける」
ということです。
これを効率的に行う方法が読書なので、
これまで多くの人が勧めてきた、
という側面もあると思います。
(今であれば、動画を見たり、
音声を聞くのも有効的だと私は思っています)
ただ注意していただきたいのは、
他人の当たり前に影響されるということは
「新たな意識の盲点も生まれる」
ということです。
社会を生きていく上で都合の悪い盲点を
周りの人から作られてしまう、
ということもあると思います。
かつて日本で主張されていた
「精神論」
などはその一例かもしれません。
間違った当たり前のせいで、
大事なことが盲点に追いやられ、
身体的にも肉体的にも追い込んだにも関わらず
望んだ成果や上達が得られませんでした。
非常に恐ろしいことです。
自分が陥っていはいけない盲点を
少しでも多く把握した上で、
様々な価値観や考えと
関わって行く必要があるのかもしれません。
今回は以上です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。