職場に行かなくてもよい月曜日。週間しいたけ占い(獅子座)を読み、北村早樹子日記を読むのが月曜日の私の決まった儀式のようなもの。
近所のカフェで今日も『哲学の門前』『書物というウイルス』『すべて名もなき未来』の並行読み。『哲学の門前』は読めば読むほど著者の吉川さんのことがわかったような気になる。わからないのだけれど。
「わかることでわかろうとしないこと。何もわからないということ。何もわからないことを引き受けるということ。」という文章が書かれているのは樋口恭介著『すべて名もなき未来』。
わたしは吉川さんのことはわかりようはないけれど、吉川さんの本にはわかったような気がしちゃうぐらい自身のことについていろんなことを赤裸々に書いてある。なんだか好きになってしまった。きっと吉川さんのご友人である、この本にも登場する山本貴光さんから「キミに吉川くんのなにがわかるんだい」と心の中でつぶやかれてしまうと思うけれど。
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福嶋亮大著『書物というウイルス』の『水没ピアノ』評に感動し、『水没ピアノ』を読みたいなと思っていたので本屋で探す。書棚のいちばん上にあったので脚立のようなものを持ってきて手に取りそのままレジへ。1章のみ読む。文章のリズムがとてもよく、わたしに合っていたのですらすら読める。そしてほんとうに中村一義が出てきた。
シフォンケーキで一服。『哲学の門前』を読み終わる。「≪幕間≫君と世界の戦いでは」の項をもっと理解したいために、その部分は日を改めてもう一度読もうとおもう。他のところもまた読むのだろうとおもう。この1冊、私にはとってもとっても良かった。
本屋をぶらぶらしていたら、マーク・フィッシャー『ポスト資本主義の欲望』が目にとまった。さっき『すべて名もなき未来』の中の『資本主義リアリズム』評を読んでしんどくなっていたからすぐに目にとまったのだとおもった。わたしの病いも自己責任なんだろうか。乗り越えて生ききりたい。
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河出書房新社から出た文藝増刊「スピン」を買って、夜は職場のひとと飲み屋で飲んだ(ジンジャーエール)。あぁ、もう、私は辞めるのだと思った。それは知っていたことだし事実だけれど、事実じゃないようにも思えた。なぜか、この冬の仕事量はやばいよね。などと話している自分がいて、自分自身で混乱した。もう辞めるんだ。もう考えなくてもいいんだ。
燃え尽きるんじゃないかと不安になる。
もう、燃え尽きているのかもしれない。明日の夜も会社の人と飲みに行く。
コロナには気をつけようと思う。