きょうも朝からのんびりした。散歩をしたり読書をしたり。昨日に引き続き、吉川浩満著『哲学の門前』、そして福嶋亮大著『書物というウイルス』の並行読みにプラスして樋口恭介著『すべて名もなき未来』の再読。
福嶋さんの『水没ピアノ』評を初めて読んだのだけど体中ぞくぞくして心臓がばくばくして倒れるかと思った。佐藤友哉著『水没ピアノ』と村上春樹著『海辺のカフカ』を比べながらひりひりする勢いで切り込んでいてどきどきがとまらず、「ノートに『水没ピアノ』を読む。」と書いた(オノマトペすぎる語彙力でごめんなさい)。
明日もこんなことをして暮らしたい。読書休暇がほしかったから丁度いいのかもしれない。いや、明日からの1週間はリモートワークということになっているし、何かあったら呼ばれることになっているので、寝ているわけにもいかないし旅に行くわけにもいかない。読書をすること自体は間違いではないように思う。
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近所を散歩し、古本屋にいき、いまはもうない足繁く通っていたスナックの前を通り、いまはもうそこに住んでいない友人が住んでいたマンションの前を通ったりしていたら、いろんなことを懐かしく思い出した。過去を振り返ることはあんまりすきではないが、それは実家に暮らしていた頃のことを思い出したくないからというのがあるからで、実家を出てからのことを思い出すのはいいものなのかもしれないな。と思ったりした。老けたのだろうか。
おそらく2014年とか2015年あたりに当時近所に住んでいた友人に連れられて近所のスナックに顔を出した。そこのママがとてもすきで(女の子がいないママひとりだけのスナック)、友人がいなくてもご飯を食べに通うようになった(注:私はアルコールが一切飲めない)。
次の日が休みだと帰るのが億劫になり翌日の午前4時ごろまで、だらだらと、ママと常連のおじさまたちとカラオケを楽しんだり食事を楽しんだり、会話を楽しんだりするようにまでなり、自分自身もすっかり常連になって、とても面白かったいい思い出がある。
お客さんとして行っていたが、常連さんの忘年会のときにお店を手伝ったりもし、そのときは無料でご飯を食べさせてもらえた(写真)。わたしはいつもジャワティーのストレートで(笑)、みんなは自分のすきなお酒をもちろん飲むのだが、あったかい家庭の年末年始みたいな感じがして、わたしには必要な時間だったように思う。夜中に出てくる煮麺は涙が出るほどおいしかった。
いまの会社に転職してからというもの通わなくなってしまったが、いつの間にかスナック自体もなくなってしまっていた。
いまはとてもいい思い出になっている。私にとってあのスナックは、とてもあたたかい場所でした。ありがとう。