きょうあったこと。
しごとの応募をしたりSNSの黒歴史を削除しようと、くだらない記事をゴミ箱に捨てる作業をした。
しごとはいろいろやりたいのでいろいろみて応募してみているが、求める着地点が同じではないとマッチングするのが難しいものだなとこの歳になって痛感する。
いつこの世から消えるかわからないのでSNS(主にFacebook)にくだらない投稿をしまくっていたという足跡を未来にのこしたくないなと急に思いたち、記事をまとめてゴミ箱に入れる作業をしていたが、作業をしながらけっこうもったいないのでは……ともおもいはじめてきちんと精査して残すものは残すことに決めた。いや、決めたというかそれ自体も気まぐれだからアカウントごと一気に自らBANするかもなのだけど。
何度も映画『影裏』の話を出すけれど、仲良くしながらも相手の前から突然きえる日浅のことがだいすきだった今野の喪失感に似た出来事があった。これをネタに一生泣けるし忘れることのない胸の傷をまたつくった。つい数年前にアディクションから抜け出したはずなのに甘いノックののちに、わたしはそこにまんまとすべって戻ってしまい、再びアディクションに陥り、また同じことを繰り返した。
映画『怒り』を観た。じぶんがすきになった相手のすべてを信じてあげられなかった悲しみに対するしんどさが大きかった。絶望しかないきがしたが、かすかな希望は田代くんと愛子のようにおもう。
施設で直人といっしょに育った女性が発する直人のことばに、「お前は大切なものが多すぎる。本当に大切なものは増えていくんじゃない、減っていくんだ」というセリフがあって、わたしはいつもこういうことばかり考えて、どうしていなくなるのに、ひととひとはであって、どうしていつか消えるのにたのしく話して、どうして……わたし、生まれてこなければよかった……とおもってしまう性質なので、とても共感してとても切なかった。
なので、きょうはけっこう泣いた。
ひさしぶりに焼肉屋の焼肉をたべてお腹いっぱいになり、おいしくて笑っていたのだけれど急にひりひりした傷みが心臓に突き刺さってきてとてもしんどい。生きるのは、こんなにしんどいものなのだろうか。と、いろいろ悲しくていろいろやられている。考えていてもしかたのないことだし、それも十分わかっていて、本来ケロッとしているところもあるのだけれど。
不思議なことに、目の前の繊細なことに気づけているとおもっているわりに、楽しかったりおもしろかったり、プラス作用のある事柄には鈍感の節がある。それを気づけていないのに、他者のおもいや周りのことをわかったような顔をするな、という話である。
じんせいはきっと、たのしいはずなのだ。