火曜日は10月末で退職する職場のひとと食事。24時前まで楽しかったのだけれど帰宅後に心身疲労のようになってしまい不安定に陥って泣きまくってしまった。
食事の場では自分勝手にいろいろ話しておきながら、やはり私はもう辞めた身(すでに過去形)なので、その職場で未来を過ごす人たちとの仕事の話のみのぶちまけトークがつらかったようである(冷静になってからの自分調べ)。
その会社の未来に私は存在しないので、前向きな話などできるわけがないし、でも仕事の話ばかりしていたのでいたたまれなくなり、自分勝手にとてもしんどい気持ちになった。誰も悪くない。自分の感性が悪い。いや、楽しかったのだけれど。少し距離をおかないとだめなのかもしれないと思った。
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起床後もそれを引きずっていたが、気を取り直し、昼前に外に出て今日も読書休暇とした。Brooklyn Parlor SHINJUKUでなんにも考えずにハンバーガーを注文。なんにも考えずに食べた。
しばらく本を読み、散歩をし、場所を変えて本を読み、そんなことをしていると夜になり、ヨガの時間になったのでヨガに行った。ちなみに今日読んでいたのは『水没ピアノ』『書物というウイルス』『すべて名もなき未来』「スピン」。「スピン」は斉藤壮馬さんの短編「いさな」を読んでうるっとする。
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これは完璧に自分の性格からくるものなのは自分でも理解しているが、たまに病気のせいにしたり薬のせいにしたりしている。何がかといえば、私はけっこう情緒不安定なのだが、溶岩ヨガというやつに通い始めてからおそらく精神的には落ち着いてきたように思う。いや…人並みにすらなれていないと思うのだけど、でも心が整ってきたように思う(いや、今日の日記の冒頭を読む限り整っていないんですけどそれはまぁ許してもらうとして)。
やはりヨガは自分の精神が安定する力とか、助けになっているような気がする。断言はできない。でもそんな気がする。そんな気がしているから暗示にかかっているだけでヨガのおかげではないのかもしれないけれど、ヨガのおかげかもしれないし、どちらでもいいけどヨガを始めてから落ち着いてきたように思う。
なので、ヨガはずっと続けていきたい。最初は漠然と思っていたけれど、最近はとても強い言葉を使ってもいいぐらいにヨガを続けていきたいと思い始めている。絶対続ける!とかそんな感じの。でも、がちがちになりたくはないので、ゆるくゆるく。なるべく「絶対」なんて言わないようにしたい。
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で
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きょうも大袈裟にいえば嗚咽するぐらい涙が出てきて困った。不安定すぎるのか、その不安定さがヨガをすることで浄化され、私の内から外に出ていってくれているのか、それもよくはわからない。ヨガは気持ちいい。ただ、その気持ちよさに身を委ねてチャイルドポーズをしていると涙がとまらなくなる。あんまりこんなこと言いたくないのだけど、ヨガは私にとってはセラピーなのではないか……
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と
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おもった。
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それでもわたしは不安定を治すことはしたくないのだとおもう。たぶんずっと、この不安定と友だちでいたい。