現職、10月末までとは別の脳みそを使っているらしくとても疲れているのだが、いつだったか新卒の子が言っていたことを思い出す。「わかった! 覚えることが多すぎてルーティンにもまだ慣れていなくて常に頭がフル回転の状態だから帰ってくるとすぐに眠くなるんだ」
それと同じかどうかはわからないが、赤ペンを持って紙をみながらの校正ではない時点で慣れない作業なのであり、似たようなものだともおもう。彼と同じ気持ちを味わっている。眠い。とにかく眠い。残業や持ち帰り仕事がないから副業メインでたくさんおもろい仕事ができるし本も今までよりたくさん読めるし動画編集もさくさくできちゃう! とか思っていたのだけれど、じんせい、そんなにうまくはいかないしそんなにあまくない。
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19日は仕事だったのだが帰宅後とても怠く、持病と気候病とPMSとかいうやつがトリプルパンチで襲ってきたのでぐったりし、早めに布団に潜り込み、中村一義の『永遠なるもの』を聴いてみたら当時のことが蘇り、号泣しすぎてフラッシュバックが起きて何が何やらわからないまま寝た記憶がある。
そんな感じだったので、20日に流通センターで行われた文学フリマ東京にはいけないかもしれないとおもっていて、当日の朝も布団の中でもぞもぞし、脳は覚醒しているのだけれど関節が痛くて体を起こせずしばらく眠ったりしていた。
二度寝中に見た夢は、海坊主のようなものが親愛なる者を海に引きずりこむ一部始終を目撃し、それでも親愛なる者は笑顔でたのしそうに海坊主にさらわれていたので安心していたのだが、切り替わった場面は救護室で、親愛なる者はそこで心臓マッサージを受けており、顔面蒼白になった私は、その親愛なる者の手を握り、名前を必死に呼び続けるというものだった。
結局、親愛なる者は息を吹き返したところで目覚めるのだが、夢ではものすごい勢いで名前を呼んでいたのでおそらく現実でも叫んでいたのだろうと思い、印象的すぎたので「名前を呼ぶ 夢占い」などと検索をした。名前を呼んでいる相手のことを大切に思っています。というようなことが書かれていたサイトがあったので、たぶん本当にそうなのだと思い、私はあの子が楽しく生きていればそれだけでしあわせだとかいう、仏みたいな気持ちになった。
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結局、文学フリマにも足を運び、求めていたものはほぼ入手し、あいたい人にもあえ、話したい人と話し、とても有意義な時間を過ごすことができた。あまり長居すると蓄積した疲労をさらに喜ばせることにもなるし、そこまでどMではないので早々に退散し、自宅近くでぼんやりぼんやりした。
何を購入したかとか、どんなお話だったとかは、特にいま書くつもりはないのだけれど、やはり作品からは力がみなぎっていて、調子いい感じに書けたものも苦しんで書いたものもあるのだろうけれど、それぞれがピカピカしていて、愛おしく思った。よる、きょうは良い日だったなと思い、「いきたくない、いきたくない、いきたーくない〜わたしはあーしーた、しごと〜だなー いきたくない、いきたくない、いきたーくない〜」と、チムチムチェリーにのせて歌いながら眠った。
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きょうはほんとうに行きたくなかったが、通勤はすでに習慣のような行動になってきており、とくにパワーを使わずに会社まで歩みを進めた。途中、北村早樹子さんの日記が更新されたので読んでいたら「日記が面白い某出版社の校正さん」として私が登場しており、日記読んでくださっているのがとてもうれしく、ありがたい気持ちになった。こんなふうにのべつまくなしに書いていることを少しでも読んでくれている人がいること。ありがとうございます。
そんなわけできょうも夜が訪れて、そのうち朝が訪れて、わたしはまた仕事をするのです。いろいろ滞ってしまっているものもあり、缶ジュース3本ぐらい買える新しい仕事も請け負ったので23日にすべて終わらせます。
ありがとうございます。
『光と私語』がとても好きです。
おやすみなさい…………