月見マフィンをたべた。おいしかったのだけれどトマトクリーミーソースの量がわたしには多すぎたかもしれない。ふつうのソーセージエッグマフィンのほうがタイプだった。
月にはうさぎがいるといわれたりもするが、うさぎを飼っているひとたちは、うさぎさんが亡くなることを「月にかえる」と表現したりする。悲しいことではあるのだけれど、月にみんなの飼っているうさぎさんたちがたくさん住んでいるのだとおもうと愛おしい気持ちになる。
わたしは幼いころからうさぎさんと親しくしていた人間で、おとなになってからもうさぎさんとともに生活をし、一緒に眠ったり(お腹の上でジャンプされたり)、甘噛みされたり、うさパンチされたり、いがみあったりしながら暮らしていた。かわいい……
うさぎさんは犬さんや猫さんほどなつかないのように言われがちだけれど、個体によってはかなりなつく生き物であり、げんきがない主をみると隣に静かに座ってぴったりくっついてきたりもするし、勝手にお腹の上にのってきたり足にまとわりついてきたりもする。うさぎと会話できるようになると、うさぎという生き物はほんとうに面白く、ごはんの容器をもっときれいにしてほしいとせがんできたり、ここはわたしの縄張りなのだからあなたは入ってこないでください、と言ってきたり、垂直ジャンプをおもいっきり見せびらかしてきたりしていることがわかるようになる。
本来、捕食される動物なので持ち上げられることに恐怖を感じるため抱っこを執拗に嫌がり、ねむいときは起きているふうを装うために瞳をあけてねむるのだが、なれてくると相当ひどい。わたしがともに暮らしていたうさぎさんは、わたしの腕の中で平気で目をつぶってねむり、わたしのおふとんでだらだらしていたとおもったら勝手に横になって目をぶつってねむりこけ、すこし撫でただけでは起き上がりもせずぐっすりぐうぐうしていることはしょっちゅう。
とてもかわいかった。
猫よりも気まぐれだけれど、じつはほんとうに頭がよいうさぎさん。声帯がなく痛くても痒くても悲しくても楽しくても鳴くことができないので、ほんとうは飼うのがとてもむずかしい生き物。さみしいと死んじゃうっていわれるのは、観察していてあげないと病気に気づきにくいということでもあって。むしろ、かまいすぎたほうがストレスで死んじゃうかもしれない子たちで手がかかる。
でもかわいかったんだよものすごく。お月見の思い出はそんなにないのだけれど、お月見の日に思い出すのは一緒に暮らしたうさぎさんのこと。
いつもいろどりのある暮らしをありがとうね。