きょうは朝から変な日だった。心ここにあらずな感じで電車に乗車しており、降車駅の2駅前になって「あぁもう●△駅か〜」などと考えていたにもかかわらず乗車したまま降車駅を過ぎ、過ぎたことにも気づかずに一駅先の駅に到着し、到着してからもしばらくよくわからず、ドアの閉まる直前で降りたように思う(それすら忘れている。よく気づいたと思う)。
降りると逆方向の電車がすでにとまっていたので走って飛び乗り(恥ずかしい)、無事に降りるべき駅で降りたはいいものの、出口がわからなくなってしまい右往左往……。たまに(よく)こういうことをしでかすのでいつものことかとおもったけれど、職場についてからも、ここにはかけないけれど午前中は意味のわからない行動をとってしまい、「わたし大丈夫なんだろうか……」と本気で心配してしまった。
仕事に関してはなぜか集中力の神様がおりてきて捗ったのだが、こころがどうにも落ち着かず定期的に不安定になってしまい、悪いときの自分が顔を出してどんどんしずんでいくことになった。
こういうときはなにか休み時間に短編でも読むのがいいのかなとおもい、活字をさがしたけれどどれもピンとこず、泣きたい気持ちになっていたら神様はほんとうにいるのかもしれないとおもった出来事があり、一気に涙があふれてきてしまい、午後はずっと鼻をすすりながら(仕事の集中力は器用に保って)がむしゃらに校正をすることになった。
すべての人間がそうなのかはわからないけれど、悲しいこと、つらいこと、たのしいこと、うれしいこと、どんな感情のときでも人は笑うし、涙を流すのだということ。突然起こった出来事に心がおいつかないときに、泣いたり笑ったりするのだということ。その生理現象をどうしてもとめられないのだということ。きょうはずっと泣いていたということ。そしてわたしは、どの感情なのかもわからず、涙を流していたということ。
さくやのヨガで、「いま、気持ちいいなぁと自分が感じていることはほんとうのことです。その気持ちを信じてあげましょう」のようなことを、せんせいが美しい声でいったときに涙が流れてきて、ヨガの時間が終わってからなんで涙が出てきたのかを考えたときに出てきた答えは「もしかするとわたしは、自分の考えていることや、自分自身のことをあんまり信じられていないのかもしれないな」ということだった。
よくはわからないけれど、きょうはとってもふわふわした一日だった。自分が何を考えているのか、自分が何をしたいのか、よくわからなくなった日でもあった。そして、あらためて、自分は泣き虫なんだとおもったし、もっと自分に正直になろうともおもった。
良い日だったようにもおもうし、悪い日だったようにもおもう。
わたしはいつも言い切ることができない。ほんとうに弱いなぁと感じる。