先日学生から科学や物理学を学ぶ意味って何ですかと聞かれた?
その場では適当なことを言ってごまかしたが、そのあと色々考えてみたのだが、
だなと思い至った。
何かを製造するためには求められる性能がある。例えば10kgの物体を持ち上げることが可能なロボットアームを作ろうとすると、まずハンド部分に10kgの物体を掴む力がいる。次に関節にはそのアームにかかるモーメントを支える力がいる。関節を回すモータにはその分のトルクが必要になる。という具合に順々に各部品と箇所に必要な性能を、力学的法則に基づいて計算していく。
ここで重要なのは、10kgを持ち上げるアームが実際に上げられる重量は必ず10kgを超えなければならない。ただし最大荷重が20kgなのか100kgなのかはぶっ壊れるまで試さない限りわからない。なぜならぶっ壊れたら売れないからである(試作品などで耐久テストの一環として行うことはあるが)。言い換えると、10kgまでなら持ち上げる性能を保証するということである。
意外に思うかもしれないが、一般的な公式で求められる数値というのはかなりいい加減なものである。もし直線距離100km先の友人宅に時速50kmの車で行くとしたら、理論的には2時間で着く。しかし現実には絶対に2時間以上かかる。道路は曲がりくねっているし、信号で止まるし、曲がり角で減速もする。
重要なのは、2時間以内には絶対に着かないことである。もし12時に約束をして10時に出たのでは遅いということである。
自然科学は全て予測するために理論を作る。彗星の軌跡、薬の作用と副作用、化学物質の合成、天気予報などなど。科学実験をするのに結果を予想せずに実験をする科学者はいない。予想通りの結果が出れば理論は正しく、予想外の結果が出れば理論が間違っているか、実験方法が間違っている。
より精度の高い予想をできるようにするために、日々企業や大学の研究者や技術者は研究開発に取り組んでいる。
【Rev.1】
もう一点は科学的常識を刷り込むためだと思う。地球は丸くて太陽の周りを地球が回っていることや、人間は猿から進化したという、現代科学の基盤的知識を教え込むのだ。これちゃんとやっとかないと、アメリカみたいになる。「アメリカの教育と宗教」で書いたように、アメリカ人の一定数は進化論と地動説を信じていない(マジらしい)。
高校くらいの科学教育は1900年くらいまでの科学研究の歴史みたいなもんである。1900年までに確立された科学的常識を暗記するためである。はっきり言って科学的常識を論理で説明するのは容易ではない。なにせニュートンのような人類史に残るような天才たちが生涯かけて研究して導いたものなのである。凡人にはその論理を理解するのに生涯かけても間に合わない。
いったん身についてしまった常識を覆すことは容易ではない。もし私が地動説を信じていない人間に地球が回っていることを納得させることはほとんど不可能である。だから幼い頃から正しい(と思われる)科学的常識を教え込んでいたほうがいいのである。
ちなみに人類史上最大の科学的常識の転換である天動説から地動説の転換は、100年くらいかけて世代が交代することによって成し遂げたらしい。つまり天動説論者は生涯地動説を認めなかった。
ちなみに画像は世界一有名な失敗実験でありながら、光の性質についてめちゃくちゃ重要な発見があった実験であるマイケルソンモーレーの干渉実験である。