《因果応報》
仏教用語。原因としての善い行いをすれば,善い結果が得られ,悪い行いは悪い結果をもたらすとする。
この因果応報という言葉がすごく好きです。
なんというか好きというかすごく腑に落ちるというか、この言葉にはたくさんの真理が詰まっていて邪魔するものがなにもなく、澄んでいる感覚を受ける。
この世の真理や法則をひとことで表した言葉のうちのひとつだと思います。
因果応報だけじゃない、自業自得や身から出た錆、風が吹けば桶屋が儲かるなどなど。
英語だとKarma なんて言ったりするんでしょうか。
なんでしょうね、この言葉たちはすごく聞いていてスッキリするんですよね。
おそらく、この言葉たちが好きという事ではなくこの言葉たちに共通する意味や考え方が好きなんでしょうね。
なるべくしてなる、為せば成る
為さねば成らぬ何事も
時に、この言葉たちは残酷に現実を突きつけてくるでしょう。
しかし、この言葉たちの言うように成功体験も平等に訪れる。なぜなら真理だから。これが法則なのだから。
「努力は裏切らない」
と、こんな言葉をよく耳にしますがこの言葉は少し補足が必要だと思います。
「正しい量と正しい方向へすることができた努力は裏切らない」
だと、思うんですね。
まぁそりゃそうだろって事ですが……。
「努力は裏切らないんだ!頑張っていれば、必ず成功できるんだ!」
と意気込みまくってその本人の中では全力100%で60ポイントが限界値。その分野や物事で成功することに必要な努力ポイントが、100ポイント必要だとしたらこの人は成功出来ないわけです。でも、この人は努力してるんですよね。
しかも全力です。でも60ポイントしか出ない。
つまり、量が足りないということ。
今後この人は成長して70ポイントになり、80ポイントになるでしょう。
90がきて、95がきて…遂に!?成功目前!?
と、きたところで現れるのが
挫折
残酷ですよね、でもこれも真理のひとつだと思うんです。これもまたしょうがないことですよね。だって我々にはポイントは見えないし100になったら成功なんて書いていない。見えない。
感覚と予想で何となく感じるしかない。
じゃあ、その感覚がとんでもなくズレていたら?
見事100ポイント達成!!!
ついにこれで成功だ!!!
あれ?成功してないな何でだ?
「あなたBルートで100ポイント出してますけど、必要なのはAルートでの100ポイントですよ?」
いやぁ残酷です。
つまりこれが、正しい方向性の努力だと思うんです。感覚がズレているとこれが起こります。
正しいと思っていたことが正しくなかったんですね。でもここでひとつ明確なものがあります。
正しくなかったという真実
今までやってきたものは、正しくなかった不十分だったという正解にたどり着いたことに気づくということ。
よく言われるこれが、失敗は成功のもとと、いうことですよね。正しくなかったということに気づき微調整する、正しいところにピッタリ合うまで挑戦し続ける。
暗闇で鍵穴に鍵を差し込むような感覚。
ガチャガチャガチャガチャ
やみくもにガチャガチャし続ける人と分析や推理しながらガチャガチャする人。
ここにこの模様の感触があって、こっちにはあの獅子のレリーフの感触がある。
ということは、この辺に……。
いい意味でも悪い意味でも等しくルールや法則があるのはすごく心がスッとするというか……。
残酷な現実を突きつけられる場合が多いかもしれませんが、このルールと法則の中で生きていくしかないんですよね、楽しみながら攻略するしかないんです。
すいません、ただの一般人が偉そうに語ってしまいました。
それでは、また。