サービスの具体的な機能に加えて、そのサービスの心を掴んでいる点にフォーカスをしようとすると、重要な切り口は技術やサービスといった単位ではなく人間そのものの理解と言う点になってくる気がする。
Clubhouseの招待コードが入手でき、ルームに入ってみた。すると行われている議論は、個別具体的なサービスの機能の優れた点についてが中心だった。
ベータ版にもかかわらず200万人が利用する規模感を持つサービスに対して、日本の人々の間で行われている議論の論点に私は違和感を覚えた。
ここまで多くの人を虜にしているサービスは、おそらく単純な課題解決でも作れず、また単純なエンターテイメントによっても作り得ない。
数千年の間人が普遍的に持ちつづける、根源的な欲求を的確に刺すことでしかなしえない。
表面的な機能から理由を探ろうとしたり、フォーカスし続けていても、おそらくこのサービスが大きくなった理由は決してわからない。
かの有名なレオナルドダビンチは、キツツキを解剖してその頭の構造を詳細に解析したり、木の枝葉の一本に至るまで観察し枝分かれした部分が枝分かれする前の枝の太さの半分になることなどを突き止めている。
その卓越した観察力が大いなる想像力を生み、多彩な才能を発揮した結果現在は世界中に知れ渡っている。
おそらくサービス開発をやっている上で、「サービス開発」だけをやっていても決していいものは作れないと思った。
Clubhouseをしばらく使って感じたこと。
それは、歴史哲学物理学社会学政治学天文学といったありとあらゆる領域の知識を総動員して、人間と技術と時代の本質を見抜く。こうすることでおそらくほかに例を見ない「まだ世の中にない新しいもの」ができるのではないかということだった。