日常的にはよくフラットな人間関係が重要だと言われる。気兼ねなく何でも話せ心から相談しあえる関係。何でも意見を伝え合える関係など、その解釈は人によって様々だろう。だが1つ言えるのは、フラットな人間関係には段階があると言うことだ。
例えばある程度趣味について語り合える関係はフラットと言う人がいるかもしれないし、自らのセクシュアリティーやバックグラウンドなどのセンシティブな話を打ち明けられる存在をフラットな関係と言う人もいるかもしれない。 これらは明確な違いがあるがすべてフラットな関係であると呼ぶことができる。
いずれにせよ、どんな性質であってもフラットな人間関係というのはお互いをある程度知っている間柄でのみ発生する事は間違いのない事実だろう。
?事業活動を始める中で、人間関係がかなり増えていくことに驚きを隠せないが、同時に心を打ち明けられる存在の貴重さを再確認する機会が増えた。
例えば高校時代に苦楽を共にした部活の仲間や大学時代に同じ志を持ってことを成し遂げた同士など、利害関係やお金が発生する以前に関わった人間と言うのは何物にも変えがたい宝なのだと思う。ある統計では1人の親友は1億円の財産に値すると言われているが、個人的には10億100億、否それ以上の価値を感じている。
ここまでくるともはやフラットなどではなく、自らの構成要素の1部と同じレベルである。荒波に揉まれる日常生活とはある程度隔絶した、風の穏やかな停泊所。かといって決して相互依存や甘えているわけではなく一人一人が己の道に邁進している。
つまり真の意味でフラットな人間関係というのは、それぞれを良い意味で刺激し合いまたなんでも打ち明けられる存在でありながら、余計なことを考えずに同じ時間を共有できる仲間のことを指すのではないかと思う。